Japanese
Skream!×MUSE音楽院公開講座
2016年11月号掲載
メンバー:秋野 温(うたギター) 神田 雄一朗(ベース) 笠井 快樹(ドラム)
インタビュアー:渡邉 徹也 Photo by ミクスケ
-すごいですね。他には何かありますか?
笠井:ライヴ100本中80本くらい、打ち上げがあるんですよ。ホントは全部行きたかったんですけど、移動行程の都合とかで行けないところもあって。なので、行けるところはできるだけ出ようってことになってたんです。でも、"ヴォーカルは歌があるので、ちょっと控えてくれ"と。それで、"俺らふたりで行ってくるから"って感じで、たぶんこのふたり(神田、笠井)は打ち上げにも80本超えで出てましたね。
神田:夜の80公演(笑)。
-それも記録かもしれないですね(笑)。
神田:まぁでも、"バンド=打ち上げ"みたいなイメージがあるじゃないですか。楽しい会ですけれども、せっかく47都道府県全部回ったので、各地の地元のバンドマンとか、ライヴハウスの人間とか、ラジオ局の人とか、いろんな人がいて、そういう人たちと仲良くなる時間がすごく大事で。
-それが次に繋がってくる。
神田:そうなんですよ。特に自主レーベルだからブッキングとかも自分たちでやるので。バンド自体が売れてる、売れてないとか、動員が何人だとか、そういうことも大事ですけど、人同士、愛があると関係が続くんですよね。
-深いですね。ありがとうございます。では、この47都道府県を回ったツアーに限らず、今まで数多くのライヴを行ってきた中で、例えば"こんなところでライヴをやったよ"とか、"これはウチしか体験してないんじゃないか"とか、そういったエピソードがあれば教えていただきたいなと。
秋野:僕ら、メジャー・デビュー前に作品をリリースしていたレーベルが"よしもとアール・アンド・シー"だったんですよ。
-お笑いの吉本興業の?
秋野:そこの音楽部門のレーベルからCDを出してた時期があったので、渋谷にある吉本の"ヨシモト∞ホール"が新しくできた直後にあそこで何度かライヴをしてますね。
-段になってて、外からも見える劇場ですね。
秋野:そうです。それに、当時は芸人さんと一緒にクイズ・コーナーをやったりとか(笑)。しかも、その当時の芸人さんたちはみんなすごく有名になってて。それこそオリエンタルラジオとか、トレンディエンジェルとか、ピースとか、はんにゃとかが若かりしときで。
-で、そこに鶴がいて。
一同:(笑)
秋野:ジャンルが違うっていう(笑)。でも、"あそこのライヴで初めて観ました!"っていう方が、まだたまにいるんですよ。
-繋がってますね。
秋野:だから、どこで誰がどう反応してくれるかってのはわかんないですね。"なんでこんなとこでやんなきゃいけないんだ"って思うバンドマンもいるかもしれないですけど、一生懸命やってたら、誰かしらがどっかで見て反応してくれるから。それも面白いなって。
-そうですね。他のメンバーさんは?
笠井:僕ら鶴ヶ島市出身なんですけど、デビューのタイミングにそこの市役所でライヴをやらせてもらったことがあるんですよ。そのとき、僕ら3人ともアフロヘアーだったんですね。で、市長もちゃんと立ち会ってくれて、その市長にアフロを被せました。
一同:(笑)
神田:4人目のメンバーだ、みたいな感じで(笑)。
笠井:結構音楽が好きな市長さんで、ノリノリでやってくれて。すごく応援してくれましたね。
-そんな鶴のライヴには感動的なエピソードもいろいろありますが、トラブルもつきものだと思います。今まで様々なトラブルを乗り越えてきたと思いますが、その中でのアドバイスやノウハウなどがあれば教えてください。
秋野:実は、全国2周100公演のうちの1本目のライヴでいきなりトラブったんですけど......。