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INTERVIEW

Japanese

蟲ふるう夜に × Lyu:Lyu

2015年05月号掲載

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Member:蟻(蟲ふるう夜に) コヤマヒデカズ(Lyu:Lyu)

Interviewer:吉羽 さおり

-10代のときって、どんな少年だったんですか。

コヤマ:仲のいい友達がいたことはいましたけど、クラスの人ともそんな喋ってないというか、そもそも学校に行ってなかったんですよ、高校のころは。一応、部活には入っていて、演劇をやっていたんですけど。

蟻:へええ。

コヤマ:部活の時間になるとふらっと学校に行って、部活だけやって帰るってことをしていて。部の人たち以外は、まったく関わりがなかったというか。クラスで流行ってるものとか、周りの人たちが聴いているものも全然わからないし。ついていけなかったんですよね。そういうときに、さっき言ったようなバンドたちを偶然聴いて。ずっと、共通の話題で話せる人がいなかった状況のなかで、やっと自分と同じことを思っている人を見つけたと思って。それでバンドにはまっていったんです。

-多感な時期の支えができたんですね。では、蟻さんの歌の原点は何だったんですか。

蟻:原点は、合唱なんですよね。小学校が合唱が盛んな学校で、校歌が四声くらいあったんですよ(笑)。500人で歌った校歌にものすごく感動して、それから合唱を始めて、ずっと"ハ~♪"みたいな感じで歌ったいたんですけど。高校に入って、音楽部に入ったんです。もともと部員が先輩ひとりしかいない部で。部活紹介のときにみんながまじめに紹介をしていくなかで、その先輩はラジカセを教卓にドンって置いて、"俺は喋るのが苦手なんだ、これを聴け"とか言って(笑)。

コヤマ:かっこいいなあ(笑)。

蟻:そこで流したのが、ハードコアだったんですよ。こんな音楽聴いたことない!って、また衝撃を受けて。ほんとは自動車整備士になるはずだったのに、運命を変えたのはその人ですね。

-蟲ふるう夜にを始めたときは、どんな感じだったんですか。

蟻:今思うと、中二病なのかなあ。世界は敵だと思ってましたね。こんな腐った世の中を救えるのはわたししかいないんじゃないかみたいな(笑)。そういうのをポエムにして毎日、自身のブログにあげるみたいな。

-なんでそういう思考になっていったんですかね。

蟻:うーん、まずはお金がなかったのがあって。無一文で東京に出てきて、家もなくて、公園に寝てたりしたんです。そのときに、学んだことも大きかったし、スレたところもあったし。わたし、新宿のホームレスと友達だったんですけど......まあ、自分もホームレスだったんですけど。その人が言うには、"西側のホームレスは働く気がないんだ、あっち側のやつと関わっちゃダメだ"って言って。でもこっち側の人間は働く気があるけど、働けないんだって。それって大きな違いじゃないですか。そこで何か気づいたっていうのかな。救われたいと思ってない人っていうのがいるんだなって。

コヤマ:うんうん。

蟻:押しつけがましい感情で、"働けない人がたくさんいる日本はおかしい"って思ってたけど、働く気がない人たちが実際にいるっていうのを目の当たりにして。わたしがその当時歌っていた歌は、救われる気がない人たちに歌っていたんですよね。精神的な病も、救われる気がある人とない人がいて、それが心地よくてそこに浸かっている、血の沼に浸かってる人たちが一定数いるんですよね。その人たちに届ける歌ではないんじゃないかって思って。

コヤマ:うん、そうですね。

蟻:救われたいけど救われない、そういう人たちに届ける歌を歌いたいんじゃないかって思った。それは結構、大きな気づきだったと思います。

-そこで書くものにも変化があったんですか。

蟻:でも、それも今振り返ればなんですよね。ずっと、血の沼に対して書いていたんですよ。中学時代からやってた誰にも公開してないブログがあったんですけど(笑)。

コヤマ:うわー、すごそうだな(笑)。

蟻:背景がまっ黒で文字を赤で設定してて、それにつらつらとポエムを綴ってたんです。それを7年くらいやってて。それを捨てたのが、東京に出てからだったんですよね。それを捨てられたのも、今思うと大きかったかもなって。でも書くのが日課のようになっちゃってたから、その延長で曲も書いていて。ほんとに自分自身が変わったのが、ここ2年くらいのことだと思う。

-そのブログは、誰にも言えないようなことを綴っていたんですか?

蟻:そうですね、うん。TwitterやSNSが始まったとき、"死にたい"とか、"誰か殺してくれ"とか、そういう書き込みがいっぱいあったと思うんです。でも段々と世間がそれを許さなくなってきたじゃないですか。それが、健康的に見えて不健康な感じがして。

コヤマ:うん。

蟻:最初は私もそういうことを書いていたんです。それを段々ととどめるようになって、でもそうするとむずむず、むずむずするんだけど、でもそれがきっと脱皮する手前だったのかも――って、今思いました(笑)。

-あえて言葉にしないことで、気持ちを変えていく?

蟻:自分の中にもとどめなくていいというか。そういうのを消してあげなきゃいけないなと思うんですよね。高校のときは虚無感でいっぱいで、友達ができないとかも、たぶん自分のせいじゃないですか。人と壁を作ってるのは、自分だし。そういうものを溶かしてあげたいんですよね、音楽で。

-先ほどコヤマさんは、ここからまた違った表現ができるのではというお話をしていましたが、1番変化したのはどんな部分ですか。

コヤマ:周りに全然人がいなかったころと違って、今は自分が何かひと言いえば熱心に聴いてくれる人がいるわけですよね。そこにいつまでも目をつぶっていてはダメだなっていうか。結局、そういうところに自分で目隠ししたままで"何も見えない!"って言っていたって、"それは自分で見てないだけだろ"って思うんですよね。そこから逃げちゃいけないなって思ったのが、1番ですね。自分で目隠しをはずして、ちゃんと周りを見なきゃなって。

蟻:それ、大きな心境の変化ですよね。ジタバタして、やだやだって言ってる子どもじゃもういられないっていうか。足掻いていかなきゃ、いけないっていう変化はすごく大きい。

コヤマ:とはいっても、自分でもまだ迷っていることはたくさんあって。正解がわからないことも山ほどあるんですけど。迷っているなりにもどこかに向かわなきゃいけないなとか。自分が道を示したり、先頭に立って歩いたりということをしていかなければならないというふうにものすごく思った。