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INTERVIEW

Japanese

大橋ちっぽけ

 

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噂が噂を呼ぶ、とはまさにこのことだろう。現役大学生にしてシンガー・ソングライターとしても活躍している大橋ちっぽけが、このところ各方面から注目されているのはご存じだろうか。中学生のころからインターネットの世界で歌唱投稿を始めていたという彼は、高校生になった段階でオリジナル楽曲を作り出すこととなり、インターネットがきっかけで初めて東京でのライヴも実現することになったという、極めて現代型のシンガー・ソングライターだ。あえて自らを"ちっぽけ"と称してはいるものの、彼が持つポテンシャルはむしろとても大きい。6月にリリースされた1stミニ・アルバム『僕と青』を聴いても、そのことは明らかでしかない。

-6月にリリースされた1stミニ・アルバム『僕と青』が、このところ各方面で話題となっている大橋さんですが、もともと音楽活動を始められたきっかけ自体はインターネットでの動画投稿だったそうですね。

音楽を自分でもやってみたいなと思った中学1年生のころ、ちょうどインターネットに"歌ってみた"的な歌唱動画を上げるということができる、そういう文化があるということを知りまして、"面白そうだな。これなら僕でもできそうだし"と始めたのがきっかけでした。

-その際に歌われたのは、どんな曲だったのでしょう?

最初はオリジナルではなくて、いわゆるVOCALOIDの曲とか、既存の楽曲をコピーして歌ってました。

-ご自身の歌をアップロードしてみて、大橋さんはどんなことを感じられましたか?

投稿した次の日に7件か8件くらいのコメントがついていて、いいコメントもあれば、あんまり良くないコメントもついていたんですけど(苦笑)、"反響がある"っていうことが嬉しかったし、面白いなと感じましたね。大げさに言っちゃうと、"あぁ、自分は本当に世界に向けて発信したことになるんだな"っていう感覚がすごいあったんです。そこから、どんどんハマっていったんですよ。

-その後、オリジナル曲を作られるようになったのはいつのことでした?

それはアコースティック・ギターを始めて1年とか2年くらい経ってからだったので16歳のころだったと思います。楽器も、弾き語り動画を投稿している人たちの様子を観ていて、自分も弾き語りをしてみたいなと思って憧れて始めたんですよね。ただ、そのころは楽器を買うだけのお金は持っていなかったので(笑)、親に"次のテストで30位以内に入ったら買ってよ"って頼んで買ってもらいました。

-では、そのギターを手にした大橋さんが、初オリジナル曲をどんな曲想をもとにどうやって制作されたのかも教えてください。

タイトルは"sixteen"で、まさに16歳だったときの自分の気持ちをテーマにして作ったものでした。もともと、ギターを始める前からメロディを作ることは結構好きで、例えば既存の曲に対して"ここのメロディがもっとこんなふうだったらいいのにな"的な感じで、いろいろと考えることはよくやっていたんですね。オリジナル曲は、その延長線上でできていったんですよ。

-そうやって「sixteen」を完成させてみたときに、大橋さんはどのような手応えや感慨を得たのでしょうね。

いや、それが意外とそんなに感慨とかはなかったんですよ。むしろ、作り終わったときは"もっといいメロディにできたんじゃないかな?"っていう気持ちの方が大きかったです。全然納得はいってなかったですけど、でも初のオリジナルを作ったことで、"ここからもっとやっていこう"という意識を持つことにはなりました。

-ちなみに、「sixteen」も投稿をされたのですか?

結果的にあとから人に録ってもらって投稿しましたけど、曲ができてすぐに投稿することはしなかったですね。「sixteen」に限らず、オリジナル曲はそんなに投稿してなかったです。

-だとすると、大橋さんが具体的なプロ志向を持つようになったのはどの段階からだったことになるのでしょう?

中高のころはずっと愛媛県に住んでいて、当時は地元のイベントで2回くらいしかライヴをやったことがなかったんですけど、高校2年生のときに初めて東京でライヴをすることになったんですよ。それも、そのライヴハウスが、プロの人たちや、今の第一線で活躍している人たちも出ていたことがある、というステージだったんですね。そこに立ったときに、自分もプロとしてやっていけたらいいなということを思いました。

-初の東京ライヴは、どのようにブッキングされたのですか。

それもネットがきっかけでした。当時はネットで生配信もよくやっていて、それを観ていたというライヴハウスの方から、"よかったらこっち(東京)に来てライヴをやってみない?"とお誘いをいただいて実現したんですよ。

-インターネット様様ですね(笑)。なお、インターネットと言いますと、昨今は音楽配信代行サービス"BIG UP!"のようなサイトもずいぶんと充実してきておりますが、大橋さんは今のこのシーンの状況をどのように捉えていらっしゃいますか?

もし、自分が音楽を始めたころにそういうサービスがあったら、きっとすぐ使っていたと思います(笑)。人からダイレクトな反響があるっていうのは音楽をやる人間にとってすごく大事で嬉しいことだし、時にはきつい言葉を貰うことがあっても、それも勉強とか励みになりますからね。知ってもらう機会が広がるというのは大切なことですし、音楽の専門サイトの方がYouTubeとかよりも、本当に音楽の好きな人たちが集まってくれると思うので、そういう意味での可能性も感じます。

-と同時に、大橋さんはネットでの活動だけではなく、高校3年生のときに"未確認フェスティバル2016"に応募され、セミ・ファイナリストになられたこともあるそうですね。

前から"未確認フェスティバル"の存在は知ってましたし、そのころにはなんとなく自分の中で"これ、出したらそこそこ行けんじゃね?"みたいな感覚もあって(笑)、結果はどうあれ、出すだけ出してみようと思って応募したんですよ。そうしたら、なんとかセミ・ファイナリストまでは行くことができたんですが、最終的には悔しさが残ってしまう形になりました。"まだまだなんだな、自分は"というふうに感じてしまったんです。