Japanese
晋平太
数々のMCバトルにて輝かしい戦歴を残し、2017年にはテレビ朝日系人気番組"フリースタイルダンジョン"にて、歴戦の猛者たちを次々と倒して史上初の全ステージ・クリアを達成したことで話題を集めたラッパー 晋平太。現在ではそのスキルと人間力を生かし、全国各地でラップ講座を開きフリースタイル及び日本語ラップの普及活動を行い、フリースタイルの伝道師としても活躍している。今回、自身の活動、ラップへの想いを語ってもらうとともに、"BIG UP!"を使った作品の発信についてのアドバイスも聞かせてもらった。
-晋平太さんは1983年東京都生まれということですが、10代のころって、まだ今のようにラップ、ヒップホップが一般的な層にまで支持を得てはいなかったのではないかと思うのですが。
そうなんですかね? 僕は(ラップ、ヒップホップが)好きだったんで自分の目線でしか見れないですけど、僕が高校生のころは結構チャートに入ってましたけどね。まぁ、限られた人たちですけど、ZeebraさんとかRHYMESTERとかDragon Ashとか。そこでやっと、そういうジャンルに特別興味のない人にも、ラップや、ストリート・カルチャーとして認知されてきたと思います。カラオケに行くと、ラップの部分があるじゃないですか? そこで"歌えよ!"って言われてラップすると人気が出る、みたいな(笑)。そういうふうにはやっとなってきた時代ですよね。でもたしかに、一般市民権は今に比べると、全然得られてはいなかったですね。
-晋平太さんご自身はどうやってラップと出会ったんですか?
僕は中学生のとき、クラスの友達が"さんぴんCAMP"(※1996年に日比谷野外音楽堂にて開催されたヒップホップ・イベント)のビデオとかいろいろ入ったミックス・テープを貸してくれて、"面白そうだね"って、その友達にラップのやり方も教えてもらって。自分にも"できるかもしれないな"って思って、聴くのと同時くらいに遊びでリリックを書いてみて、曲を作るところから始めました。教えてもらってすぐ、授業中にバーって書いてましたね。
-それを最初はどうやって人前でやり出したのでしょうか。
できたらすぐ友達の前でやってみせたり、あとは文化祭に出たりしましたね。高校の文化祭のとき軽音楽部でラップをするっていう友達がいて、(自分も)チョロッと出させてもらったりして。文化祭でクラブみたいなことをやってるのもいて、近隣に住んでいるラッパーを呼ぶって言って、鎮座DOPENESSが来てましたから。当時はまだ全然、鎮座DOPENESSじゃないころですけど、"すごい人いるなぁ~"って思ってました。そういう、たまたま近隣に住んでるラップのすごい先輩たちが来て歌う、みたいな。今みたいに歌う場所とかもなかったし、サイファー(※複数人が輪になって即興でラップをすること)もなかったですからね。
-今、サイファーをやっているところを見たりすると、どう感じます?
高校のころにあったら絶対行ってましたね。すごくいいなって。そこで仲間もできたり、色んな文化も広がっていったりするんだろうなって思いますし。
-高校生のころから本格的に大会に出始めたんですか。
いや、全然。高校のころからラップが好きで聴いてはいたんですけど、遊ぶ方が楽しいじゃないですか? 女の子にモテたいし。B-BOY(のブーム)が中学3年くらいのときにバーンと来て、そのときはB-BOYファッションでノリノリにしてたんですけど、そのブームがあっという間に去って。そこからは"きれいめブーム"が来たというか、急に(多くの人が)Yシャツを着だしてロング・コートを着るみたいな文化になっちゃって、"B-BOYなんてマジモテない、やってらんない"って。
-ははははは(笑)。
そんな紆余曲折を経ながら、18歳くらいになって、何か本気で一生懸命できることをしたいなと思って。もう1回ラップをやってみたんです。そしたらいろんな出会いとか偶然が重なっていった感じですね。
-周囲に仲間が増えてきたことが、晋平太さん個人としても活動を大きくしていった要因のひとつになっていたんでしょうかね?
そうですね。いつも誰かが助けてくれるっていうと変ですけど、(ラップを)始めたときも自分でラップを掘っていって出会ったわけじゃなくて、友達に勧められて。18歳のときも友達が"B-BOY PARK MC BATTLE"があるから出ようぜって言ってくれて、出場してみたら僕の方が成績が良くて本選まで出れて、そしたら"俺、仲間とレーベルやるからお前も来いよ"って言ってもらえたりして、常に助けてくれる人がいるっていう感じなんですかね。今もそうだし。
-MCバトルでの戦績はものすごいですが、ひとつひとつ目標を立ててその都度大会に臨んでいった感じなんですか。
"B-BOY PARK MC BATTLE"で初めてMCバトルで優勝したんですけど、そのときはそれを目標にしていたというよりは、友達に勧められて出たっていうことが大きかったんですよ。フリースタイルなんて普段そんなにしていないし、あんまり自信がないなって思っていた半面、"今日勝たないと一生勝てないな"って思って、そのときはたまたま勝てたんですけど。でも、2009年に"ULTIMATE MC BATTLE"の予選に出て負けて、2010年くらいからは、"絶対優勝するんだ"って目標を立てて計画して練習したし、研究したし、全部勝ってものすごい勢いでパッションを燃やしたし、2010年~2012年くらいは結構ストイックにやってましたね。
LIVE INFO
- 2024.11.27
- 2024.11.28
- 2024.11.29
- 2024.11.30
- 2024.12.01
- 2024.12.02
- 2024.12.03
- 2024.12.04
- 2024.12.05
RELEASE INFO
- 2024.11.27
- 2024.12.04
- 2024.12.25
- 2025.01.08
- 2025.01.22
- 2025.03.28
FREE MAGAZINE
-
Cover Artists
ASP
Skream! 2024年09月号