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INTERVIEW

Japanese

cinema staff × Skream! × バイトル

2018年07月号掲載

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Member:飯田 瑞規(Vo/Gt) 辻 友貴(Gt) 三島 想平(Ba) 久野 洋平(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり Photo by 石崎祥子

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-ライヴハウスはその点、バンド活動に対して理解はありますよね。

三島:理解はありますね。でも僕の場合は、月で決めていくシフトだったんですよね。2週間ごとだったらもっと楽だったかなと思いますけどね。もちろん急遽"無理になりました"と言えば休めるんですけど。とはいえ、罪悪感もありますしね。あとは"三島は忙しいんだな"っていうことでちょっとシフトも減らされたりしちゃうので。

-それは困りますよね。

三島:辻君はたぶん、よくシフトに入っていたんですけど、僕はあまり入れなかったですね。

辻:僕のところは、人がそんなに多くなかったので、わりとシフトに入らせてくれたり。急遽入りたいときも、大丈夫だったんです。

三島:LUSHは当時、人が多かったんですよね。しかもバンドマンじゃなくて、フリーターで働いている人も多かったので、どうしてもシフトに入れる人が優先だったんです。

-バイトを通して学んだことや、今の生活に生きていることはありますか?

久野:当たり前のことですけど、店員さんに横暴な態度を取る人がいるじゃないですか。それがいかに良くないことかを、働く側になると身をもって学びますよね(笑)。働いている側も人間ですから。それを肌で感じることでモラルが育ちますね(笑)。

飯田:たしかに、そうだね。

三島:客商売だと、特に相手の顔を見るようになりますよね。この人はどうしたいんだろう、ああしたいんだろうな、っていうのは観察するようになる。

辻:僕はライヴハウスで働いていたので、いろいろな繋がりができたのが大きいですね。好きなバンドや仲のいいバンドも出ていて、コミュニケーションもたくさんとれるバイトだったので。それはありがたかったなと思いますね。それで、そのあとに対バンをしたり、バンド活動に繋がっていったので。

-積極的に、自分もバンドをやっていることは伝えていたんですか。

辻:そうですね、好きなバンドが出ていると、CDを持って行って、"実はバンドをやっていて"と渡したりしていましたね。bloodthirsty butchersとかは、そこで顔を覚えてもらったなと思いますね。東京カランコロンとも、最初に挨拶したのがバイト先のライヴハウスだったりもして。

飯田:当時、辻がライヴハウスで働いていたから、初めましてのバンドからも"辻君がO-nestで働いているよね"ってよく言われましたね。

-そのひと言も、コミュニケーションのきっかけになりますね。飯田さんはどうですか。

飯田:僕は飲食だったので、料理ですね。ずっとやっていたので、だいたいのことはできますし、生活力は上がったかもしれない。それまではせいぜいレンジで温めるとか焼くくらいでしたからね。千切りひとつとっても、千切りなんて普通にできそうですけど、お客さんに出せるような千切りって結構難しいんですよ。それも確実にうまくなりましたね。

-バイトで面白かったことや、印象深い出来事はありますか?

久野:写真屋のときは、いろいろ面白かったですね。"写ルンです"とかフィルムを現像するんですけど、あれって一応、1枚1枚画像補正をするんです。暗かったら、ちゃんと明るくしたりするんですけど、そうなると必然的に写真を見ることになって。やっぱり、ちょっと変な写真を撮ってる人もいるんですよね(笑)。あとは、面白い話ではないですけど、ゲームセンターだとプリクラで痴漢とかが出るんです。それを先輩と一緒に捕まえたりとかもしましたね。書けそうにない話もたくさんありますけど......ピザ屋の配達では、風呂上がりでタオル1枚を身体に巻いたままで女性が出てきたりとか(笑)。

辻:O-nestにいたときは、nest(O-nest)ってキッチンがあるんですけど、bloodthirsty butchersの吉村(吉村秀樹/Vo/Gt)さんがパスタ作ってみんなに振る舞ってくれたことがありましたね。それまでは、ちょっと怖い人っていうイメージがあったんですけど、プライベートな部分が見えて嬉しかったなと思いました。

三島:当時、吉村さんがパスタ作るのにハマってたんだっけ?

辻:めちゃくちゃハマってた(笑)。"パスタは、茹でるときに入れる塩の量で変わるから"って言いながら。

-辻さんが働いていたころのO-nestって、ちょうどみなさん好みの海外のアーティスト、USのインディー・ロックやエモ系のバンドもがたくさん来日していましたよね。

辻:めちゃくちゃしてましたね、いろいろライヴを観れたし。

三島:当時のO-nestは僕もよく行ってましたね。+/- {PLUS/MINUS}とか。Kinsella兄弟のもよく観に行っていたし。

飯田:L'ALTRAとかね。知り合いが亡くなったとかで、ずっと泣きながら演奏してたのは、覚えてるな。

辻:すごく、いいときだったと思います。もともと僕らが最初にワンマン(2010年3月22日開催)をしたのも、O-nestで。それで店長さんと仲良くなったんですよね。それで、今度上京するんですって話をしたら、"じゃあ、うちで働けば?"って言ってくれて。最初の出勤の日も、THE VELVET TEENというバンドの日本公演で、印象的でした。

-上京したら、ライヴハウスとか音楽に近いところで働きたいと思っていたんですか?

三島:僕は思ってましたね。(東京には)音楽しかやりに行かないんだ! っていう覚悟でいたので。僕もバンドマンの繋がりで、紹介してもらって(バイトに)入ったんです。後悔するんですけどね。もっと普通に稼げるところにしておけば良かったなというのはありました。

-と言っても、掛け持ちでバイトをするのも難しさがあるような。

三島:そうなんですよね。当時は制作とかでも悩んでいた時期で、あまりメンタル的にも良くなくて。深夜に働くとかは無理になっちゃったから。

飯田:上京した当初は、みんな貯金も全然してなかったしね。バイトには入りたいんだけど、ライヴ自体もかなり入っていたんですよ。これは、バンドを頑張っていこうという人は感じることだと思うんです。バイトで稼いだお金をバンドに使いたいんだけど、ライヴ自体が多くてバイトに入れないという悪循環があって。

三島:あるね。

飯田:当時お金がなくて、代官山UNITでワンマンをして、帰りに泣きましたもんね。来てくれているお客さんよりも、俺、今お金がないかもしれないなって。

久野:チケットも売り切れて、満員のお客さんの前でライヴをして。でも、次の日にバイトに行ったりね。

飯田:"スペースシャワー列伝"のファイナル(2011年1月28日開催)で赤坂BLITZ(※現マイナビBLITZ赤坂)に立った前日も、明け方3時~4時までバイトしてた。闘争心は湧きますけどね(笑)。やってやる! っていう。

-では、メジャー・デビューが決まったときは、音楽で身を立てていけるぞという思いがあったんですか?

三島:多少は落ち着くかな? とは思いました。最初のうちはきつかったですけどね。でも、ほっとしましたね。


バンドでやっているなら、想いを共有するのが大事。"もうちょっと頑張ろうぜ"ってお互いに助け合えるような状況があった方がいいですね(三島)


-それでは、かつての自分たちと同じようにバンドや夢を目指してバイトしている人に、cinema staffからのアドバイスやメッセージをお願いします。

飯田:みんなが味わうことだっていうのがわかると、楽だと思いますね。"つらいのは俺だけなのか"って感じることがあると思うんです。でもそれは、頑張っている人みんなが通るし味わうことで、それを超えるといったん自分も落ち着いたので。そこをなんとか乗り越えるというか。俺らはよく"つらいな。でも、頑張るか"っていう話を、スタジオで練習も演奏もせずに、4人で話していた時期があったんです。

三島:バンドでやっているなら、共有することは重要だと思うんですよ。ある程度の目標地点は、みんなで共有すべきだと思うんです。そこがブレていると、どこかで躓いたときに、落ち込んじゃうので。そこでお互いに助け合えるような"もうちょっと頑張ろうぜ"って言える状況は、あった方がいいですね。短期目標と長期目標を作って、そこをまめに共有しているといいかなと思うんです。