挫・人間 下川リヲの"モノホンプレーヤーになれねえ"【第18回】

挫・人間下川リヲの"モノホンプレーヤーになれねえ"【第18回】

2020年04月号掲載

挫・人間

おれが喫茶店のトイレ付近の座席を好むのは、空いてないトイレを前に、言葉にし難い表情や思い思いの神秘的な動作で必死にトイレを我慢する人達が大好きだからだ。

余裕の表情を浮かべつつtea（ティー）で唇をぬらし、横目でそれを眺めていると、まるで自分が選ばれし人間になったかのような錯覚に陥る。組んでいる脚もなんだか180センチはあるような気がしてくる。

今日もなかなか空かないトイレの前で厳格そうなサラリーマン風の男が苦悶の表情でねじれだした。おれはそれを横目に――静かに呟く。

「......踊れ」

「あああああああっ」

サラリーマン風の男はまるでおれに操られているかのように苦悶する。何故人はこうなるまで我慢してしまうのだろう。この男性は特に余裕がないらしく、ノックがエスカレートして、両手のひらで扉を連打している。スマブラのドンキーコングの↓＋B状態である。

「わっわたくしはっ」

男が突然声を上げる。
語りかけるタイプの男は初めてだったので驚いて思わず男の方を見る。

「わたくしはっ齢50になりますがにょにょにょ......にょ......」

にょ......？！「にょ」ってなんなんだ？！特殊な猫耳萌えキャラの語尾でしか聞いたことないにょ！！！
周りを見ると他の客も「にょ......？」という困惑した顔のまま男を見守っている。

「にょ......にょ......にょ......」

怖い。今すぐここから逃げ出したい。せりあがる恐怖が「にょ」に続く言葉を誘い出す。「如来」
いやいや......「如意棒」とか......いやそんな余裕ある発言しないだろうか......。などと考えているうちに男が意を決したかのように言う。

「にょ............ 尿パッドを検討しております！！！」

なんじゃそりゃ！！！！！！！

ズコーーーッとコケてツッコミたかった。何の告白なんだ？！

しかし、そんな男の気迫に負けて中から恐る恐る大学生風の男が出てくる（勇気ある）。サラリーマン風の男は、不気味なほどに伸びた背筋で足早にトイレへと侵攻して行く。

残された我々は思った。
真実の愛など存在しないのかもしれない。
尿意とはあんなにも人をおかしくさせると知って、歌の歌詞のように「いつだってキミを想っているヨ」なんて言うのは欺瞞ではないだろうか。

あのトイレ我慢男性の左手の薬指には結婚指輪が嵌められていたが、「トイレが空かない」という窮地に彼は、「家族大好き」なんて1秒も考えなかっただろう。苦しみが頭から愛を追い出して脳を満たしてゆく。
他人事ではない。きっと同じ状況なら、自分も好きだった人のことを忘れるに違いない。

絶望に浸っていると、先程の男性が清々しい顔でトイレから出てくる。この世の苦しみのすべてを水に流したという満足感を全身から放出させて。

そうだ、何度忘れたって思い出せばいい。
我々はトイレを我慢するたびに、神に祈るような形で身をよじらせ苦悩するが、いつかは雨も止み、幸福を掴んでゆく。

おれはベローチェのトイレ脇で悟りを開き、如来になった。緊張と緩和。人生は......かくも美しい。

挫・人間

2008年、熊本で結成。"閃光ライオット2009"の決勝大会に進出し、同大会のキャンペーン・ガール、夏未エレナが選出する"夏未エレナ賞"を受賞。2013年に1stアルバム『苺苺苺苺苺』を発表。2020年11月に新メンバーが加入し、配信シングル『マンガよみたい/誰かを救える歌』をリリース。2021年1月に、渋谷TSUTAYA O-EAST単独公演を収めたライヴDVDを発売。2月に配信シングル『オタルの光 / ギブミーチョコレイト』をリリースした。

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