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COLUMN

オワリカラ : タカハシヒョウリの「火星から来た漫読家」【第29回】

2016年03月号掲載

オワリカラ : タカハシヒョウリの「火星から来た漫読家」【第29回】

あの癒し系シュールギャグマンガ『ぼのぼの』の作者が描いていた、知られざる不気味なホラーマンガ『Sink』

とある大学に、僕に年に一度授業をさせようとするケタ違いに物好きな教授がいる。なので僕は毎年大学に出向いていって、何かしら面白そうなことを調べて、ちょっと授業らしくなるように話すんだけど、前回のテーマは「恐怖はどこから来るのか」にした。脳みそや心の中のどこから恐怖がやってくるのかを知りたくて調べてみて、これが難しいけどなかなか面白かった。「恐怖」という感情はとても不思議でまだまだ解明されていない分野で、調べるほどに謎が多くてよくわからない。でもある女性の例というのを見た時に、すこしだけ腑に落ちた感じがあった。その女性というのはとても珍しい病気の症状で脳の一部が機能していない。そのために「恐怖」という感情をまったく持っていないのだそうだ。危険な場所やシチュエーションにいても恐怖を感じない。究極に鋼鉄のメンタルである。そんな彼女は他の大部分の人たちと同じように蛇やクモが苦手なのだが、普通なら「こわ~い」と遠ざかってしまうところを恐怖という感情が無いために蛇やクモを見ると「触りたくて仕方がな~い」となってしまうのだそうだ。そしてなんと実際に触ってしまうので、周りが止めないと危ないときも多々あるらしい。つまり恐怖っていうのは「面白い」と感じる「興味」や「好奇心」と背中合わせに存在していて、そのリミッターのような役割を持っているのではないか。人間が技術や経験や勇気をもって恐怖を乗り越えた先には新世界が待っているよ、という人間に与えられたハードルみたいなものなのかな、と思った。だからある意味では面白いことへの好奇心が強い人は、怖い事への感覚も敏感ってことがあると思う。個人的には前置きですでに500文字使ってることに恐怖を覚えるが、やっとここで本題。つまり「面白いことへの興味=ギャグ」と「怖い事への興味=ホラー」は実は脳みその同じところで生まれるのではないか、と思うのだ。そこで今日の漫画だ。
 
みんなは、いがらしみきお先生を知っているだろうか。4コママンガ『ぼのぼの』の作者と言えばわかる人も多いかもしれない。主人公のラッコ・ぼのぼのがアライグマくんやシマリスくんと繰り広げるシュールギャグとホノボノが合体した癒し系ギャグマンガとして大ヒット、アニメ化もした。このマンガで一躍いがらしみきお先生は有名になったわけだが、もともと4コマでファンの多いギャグ漫画家で、後に少年マンガ『忍ペンまん丸』もヒットした。しかし今日紹介したいマンガは、いがらしみきお先生のそうしたライトサイドではなく、知られざるダークサイドの方だ。そのマンガは『Sink』。そう、ジャンルはホラーマンガだ。2001年、インターネットに連載された『Sink』は、あの『ぼのぼの』の作者が描いたとは到底思えない非常に不気味なマンガだ。何の変哲もない郊外に暮らす家族を主役に、次第に日常が捻れ、僕たちの世界の裏側に潜んだ何かがポツリポツリと姿を現す過程を描いている。このマンガが他のホラーと一線を画しているところは、その日常の中に浮き上がってくる非日常の表現がものすごく静かで、しかし確かに感じたことがあるようなリアルな不気味さを持っていることだ。そう、たしかにその「何か」は僕らも感じた事があるのだ。路地裏や風呂場や自分の部屋で。このマンガには血が飛び出たり、グロテスクな怪物が現れたりと言った直接的なシーンはほとんどない。このマンガで描かれるのは、いつもの景色がほんの少し捻れて、多すぎたり、少なすぎたりすることだ。道ばたに散らばるタバコの吸い殻が多すぎる、捨てられた土砂の小石が多すぎる、物置に置いてある物が1つだけ多すぎる、靴が多すぎる、手が長すぎる男、首が長すぎる女、そしていつものパーツが足りない身体。こうした日常の中に異物が介入してくることで生まれる恐怖、そして「日常の中の望まざる非日常=不幸」という「人間では対抗できない何か」への僕たちの持つ本能的な恐怖を感じる異色なマンガである。僕は読むたびに「そういえばこれ、ぼのぼのの作者なんだよな......」と思うのだが、あらためて考えてみるとギャグもホラーも日常がちょっと捻れた姿を描いているんだ。それを笑って面白がるか、怖がって面白がるかは、僕たち読み手の常識や感覚の問題で、本質的には同じことなのかもしれない。いつか時代が過ぎて感覚が変わっていけば、『ぼのぼの』で怖がって、『Sink』で大笑いする世界がやってくるかもしれない。『Sink』を読むと、そんな捻れた世界も想像してしまう、本能に忍び込んでくる不気味なマンガだ。全2巻で読みやすさもあるので、ぜひこの奇妙な感覚を味わってほしい。

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