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INTERVIEW

Japanese

少年がミルク

2017年02月号掲載

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-ポップ・チューンとして成立させるには、わかりやすいワードや、共有感のあるワードやドラマ性なども求められるところかもしれませんが、あまりそういうことじゃないですね。湧き出るまま、全部乗せてやろうっていう感じ。

そうですね。今回面白いなと思ったのは、例えば"銀杏BOYZの峯田(和伸)みたいだ"とか、"忌野清志郎みたいだ"というのがあって。私は全然そう思ってなかったんですけどね。でもそういう人たちって、外見もぶっ飛んでいたりすると思うんですけど、私はパッと見そうは見られない。そういう人がこれを出すっていうのが、面白いんじゃないかなと思って。

-そこは最大の武器でもあるでしょうね。何を考えているんだろうなっていうのは、掴めないんです。上がってきたジャケットを見ても、ピュアな感じに見えるけれど、歌詞を開いてみると毒々しい言葉や、鋭すぎてどう持っていいかわからない言葉が溢れてくるっていう。

はははは(笑)。そうですね。

-きっと言葉は、聴く状況によってもそれぞれ変わると思うんです。鋭さで痛いときもあれば、支えられるものになるかもしれないなと思う。そのなかで「CURTAIN CALL」(Track.2)は、曲調としてもスタンダードで、普遍性のある美しさも感じます。

これは以前からモチーフだけあって。どうしてもやりたいと、スタッフのみなさんが願っていたところもあったんです。これにこの声が乗れば間違いないでしょうっていうか。だから逆に、一番難しかったんです。久々に潜り込んでしまいましたね。でも、つまらないものにしたくないし、あまりにもネガティヴなものも、今は違うなと思って。この曲はどうしても、大好きな岩井俊二監督の"PiCNiC"という映画(※1996年公開)が思い浮かんでしまい。精神病院から抜け出した3人が探検するお話なんですけど、最後に、ココ(Chara)とツムジ(浅野忠信)が残って、ココは自分で頭を撃って死んじゃうんです。"私が死んだら世界が終わり"みたいな感じで。今までは、そのココ側にいたかったんです。でも前回、ちゃんと1枚作品が出せてひととおりライヴをしてみて、ツムジ側──置いていかれた側を書いてみようかなって初めて思って。

-生き残ってしまうことや生き抜いていくってことは、少年がミルクさんにとって希望になったということですかね。

うん......そうですね、でもそうかも。そっち側の人のことも知りたいって、逃げずに思い始めたのかな。そっち側の人の方が、絶対にいろんなことを考えて、何かにもとづいて行動をしていたりとかして。でもそういうことができないので、尊敬はしてます(笑)。うまく言えないんですけど。

-生きていくっていうのは、その喪失も抱えていくっていうことですよね。

そうですよね。それは嫌だなぁ(笑)。でもこんな歌でも、真剣に聴いてくれる人が現われ始めて、それを見れたからよかったかもしれないですね。あぁ、ちゃんと受け止めてくれる人はいるんだな、強いな、と思って。そうですね、生き抜く。希望の歌です(笑)。

-最後の曲「みなしごはっち」(Track.5)。これもリード曲になるということですが、今まで以上にきっと自分をぶつけた曲だろうなと。そういう、今までにない体感があった曲でした。

うーん、なんかやっぱり最初に曲を聴いたときに、"サンタクロースになったパパ欲しかったよ 分かんねーだろ"っていうのが出てきちゃったので。うわぁ、と思って(笑)。こういうのを書いちゃう、どうしようと。ちょっと誤魔化しつつ、急にそういうのが出てきちゃうみたいなメンヘラ感って言うんですかね(笑)? 強がって生きてるんだけど、たまにそういうふうにひょこっと見せてしまう。

-"パパみたいなパパじゃない"とか、これは強烈なこと書いてるぞっていうのはあるんですよね。

ずっと、根源にあることなんです。私、お兄ちゃんがひとりいて。兄は服を作ったりしていて、少年がミルクでの衣装も作ってもらってるんです。そういう面で、お互いの唯一の親友みたいな感じで。気持ち悪いと思うんです、ふたりの会話って(笑)。何の話? みたいな変なことを話していて。人の感情の部分でも、ちょっと変な部分、目線で話せる部分というか。だからたぶん、お互いに友達もいないですし。表向きはポップなんですけどね。

-そうですね。服を作ったりしてクリエイティヴですね。

でも実は、すごく闇があって。それを日頃、面白おかしくふたりで話しているんですけどね。私がこうしてやりたい表現ができるようになっているのは、たぶん彼にとっても刺激になっていて。話す機会が増えていたんです。それで改めて、そのふたりを支配してきたものを、そろそろ晒してもいいんじゃないかなっていうか。やっと何か形にして、"ふざけんな!"って言えるようになって。彼はそれを服で表現していってほしいし。だから結構、ふたりの聖書みたいな感じになっちゃったんですよね、気づいたら。