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LIVE REPORT

Japanese

SEBASTIAN X

2012.10.11 @渋谷CLUB QUATTRO

Writer 天野 史彬

本当に素晴らしかった。7月にミニ・アルバム『ひなぎくと怪獣』をリリースしたSEBASTIAN Xの、リリース・ツアー・ファイナルを飾る渋谷CLUB QUATTROでのワンマン。間違いなく、今まで自分が観てきた彼女達のライヴの中では一番よかったし、何度も涙腺を刺激された。何よりも、どうして自分がこのバンドに魅了されてきたのかが再確認できるライヴだった。

開演前、会場に入ると、既にフロアからは熱気が沸々と上がってきている。ざっと見渡すと、Tシャツ姿のロック少年や、少しおとなしい感じのインディー・キッズ然とした男子達もいたが、割合的には俄然、お洒落で可愛らしい格好をした女の子達のほうが多かったように思う。今、彼女達にとってSEBASTIAN Xは――こと、フロントマンの永原真夏は、ひとつの憧れの対象になっているのだと、バンドの登場を待ちわびる彼女達の目を見ればわかる。何故、永原が少女達から羨望の目を向けられるのか? それはきっと、永原がどこまでも、自分の内面的な欲望に忠実だからだ。女性であること、若いこと(同時に、社会的に大人でもあること)、歌い手であること、詩人であること、多くの人に言葉を届けられる立場にいること――彼女は、自分が人間として持ちうる様々な可能性に対して自覚的だし、貪欲だ。永原は、自分のあらゆる可能性から喜びを見出し、謳歌しようとする。それは、彼女のステージ上での立ち居振る舞いや、その他での言動などを見てもわかる。それがファンに対しても正しく伝わっているからこそ、今、永原真夏は、SEBASTIAN Xは、憧れの対象として機能しているのだ。そして、その“生に対するポジティヴな欲望”はバンドの表現の核でもあり、『ひなぎくと怪獣』という作品が1枚通してリスナーに投げかけていたメッセージでもあった。

開演時間を15分ほど過ぎたところで、4人がステージ上に現れる。工藤歩里、飯田裕、沖山良太の楽器隊3人はTシャツや上着を黄色に揃えた格好で、永原はヒラヒラとした7色のスカートが印象的だ。これは「サディスティック・カシオペア」のPVで使用していた衣装と同じ格好。楽器隊が黄色で揃えているからか、なんだかバンドが引き締まって見えるなと思ったが……1曲目の「MIDNIGHT CLUB」が始まった瞬間、それが気のせいでもなんでもなく、バンドの音に本質的に現れた変化なのだとわかった。今まで筆者が観てきたライヴでは、3つの楽器のテンションが上がり過ぎて、音がステージ上でぶつかり合い、相殺されてしまうような瞬間も多々あって、まだまだ演奏にムラがあるように感じていたが、この日はグルーヴがかなり強固。ベースとドラムはしっかりがっちりとリズムを刻みながらズンズンと心臓に響いてくるし、そのおかげもあって、工藤のキーボードはいつもよりはっきりと、流麗に聴こえてくる。毎年、ツアーで各地を回っていることや、楽器隊3人のバンドに対する意識の変化もあるのだろうが、バンドとしての体力が格段に上がったことを感じさせる演奏だ。そして、そんな演奏に呼応するように、永原の歌声も力強い。<ようこそMIDNIGHT CLUBへ! ここでは誰も死ねないのさ>と、この夜、渋谷クアトロに集まった人々を歓迎するように歌い上げる。「MIDNIGHT CLUB」は一見コミカルなナンバーだが、人の命にいつか必ず終わりが来るように、常に“死”というものの存在を感じさせてきたSEBASTIAN Xの楽曲の中で、<ここでは誰も死ねないのさ>と永遠を唄おうとするこの曲は、とても切実なものに感じられる。この曲で永原は、自分の中にある表現欲求を不死の怪物達にたとえながら、自分の命には限りがあるが、それでも、音楽は永遠に残り続けるということを、祈りにも似た希望を持ちながら唄っているのではないだろうか。永原が、本当の意味で音楽に自分を託し始めた1曲なんじゃないかと。

その後、立て続けに「光のたてがみ」、「サファイアに告ぐ」とハイ・ヴォルテージな楽曲を披露。その熱量は凄まじいが、演奏が安定している分、真っ直ぐに曲の放つエネルギーがフロアに届いてくる。一心に、届けるべき相手を見据えているような演奏だ。そして、個人的に序盤のハイライトだったのが「未成年」。しっとりとした曲調と、学生生活への憧憬という普遍的なテーマを真っ直ぐに歌い上げるこの曲は、現時点でのSEBASTIAN Xのレパートリーの中では異色だが、バンドが今まさに迎えている変化の季節と、この先のSEBASTIAN Xにとって、とても重要な曲であることは確かだ。『ひなぎくと怪獣』タイミングでのインタヴューで永原が、“私は早く大人になりたいと思ってたから、10代の精神論がずっと嫌いだったし、昔だったら「未成年」なんてタイトルもつけなかったと思う”と語っていたが、それでは何故、永原が学生生活への憧憬を<制服>や<青春>という、一見ありきたりな言葉を用いて歌わなければならなかったのか? それもきっと、「MIDNIGHT CLUB」同様、永原が何よりも音楽に対して真っ向から向かい合ったからだろう。自分の思いを“感覚”ではなく“音楽”で、“自分に向けて”だけでなく“他者にも向けて”、この先もずっと届けたい――そんな思いが、「未成年」を普遍的な名曲へと導いているのだ。この日、「未成年」を唄う永原の姿は、いつにも増して艶やかで、大人びて見えた。

そしてライヴが中盤に差し掛かったところからは、新旧盛り合わせのセットリストでフロアも一斉にヒートアップしていく。その暴力的なまでに投げやりなポジティヴィティが気持ちよ過ぎるくらい気持ちいいアイリッシュ・パンク調の「Sleeping Poor Anthem」。永原が頭に角をつけ、ステッキを振り回しながらステージをヒラヒラと駆け回った、こちらもふてぶてし過ぎるくらいふてぶてしいオーラ全開の「いけいけ悪魔ちゃん」……等々、SEBASTIAN X持ち前の爆発的なナンバーに合わせて、会場全体が体を揺らし、拳を突き上げている。この一体感! こういう光景は、2~3年前までのSEBASTIAN Xのライヴでは観れなかったのだ(それは人気がなかったとかそういうことではなく、根本的に、バンドとリスナーの間に超えられない壁のようなものがあった)。ちょっと、ジーンときてしまう。初期の楽曲である「ASO」や「世界のガッシャーン」も、芯の太い演奏によってバンド本来の攻撃的な野生をズバズバと放出する即効性の高い楽曲へと成長している。常にステージ上を駆け抜けていたイメージのベース飯田は落ち着いていて、1音1音が下半身から胸にかけてジワジワとこみ上げてくるような痺れる音を出している。ギター・レスのこのバンドにとって音圧をどのように上げていくかは、きっと会場が大きくなるにつれて、ひとつの大きな命題になっていたのだろう。だが、少しずつ、大らかさとパンキッシュさを兼ね備えたバンドの音が構築されていっているのがよくわかるステージングだ。

そして本編も終盤に差し掛かり、「日向の国のユカ」では儚くも不思議な多幸感を感じさせる音世界を作り出す。そして「F.U.T.U.R.E.」……この曲が、この日のライヴ全体を通しての最大のハイライトだったのではないか。1年前にリリースされたアルバム『FUTURES』に収録されたこの曲は、「自分達の存在も、いつかは過去の産物になってしまう」という永原が根源的に抱えている虚無感を全体に滲ませていた『FUTURES』というアルバムの中で、その上でもなんとか未来を掴もうという前のめりな気持ちが唄われた曲だ。1年前の段階ではアルバムの到達点として掲げられていたこの「F.U.T.U.R.E.」も、『ひなぎくと怪獣』を経過した今、バンドの等身大のメッセージとして、大声で叫べる曲になったのではないだろうか。アグレッシヴなビート、真っ直ぐなメロディ、力強い歌唱――この日のバンドの演奏は、「F.U.T.U.R.E.」の持つ壮絶なまでのポジティヴィティを最大限に放出していたように思う。未来というものは常に真っ暗闇だ。自分という存在が明日、100%元気で生きていられる保障なんてどこにもないだろう。だが、真っ暗闇ならば、未来に少しばかりの希望を持つことだって可能なはずで、何よりも、私達は傍らに音楽という永遠を携えることができる――そんな思いが、「F.U.T.U.R.E.」の素晴らしい演奏からは感じることができた。

そして「若き日々よ」、「ワンダフルワールド」といった初期楽曲を経て、「サディスティック・カシオペア」、「GO BACK TO MONSTER」、「ひなぎく戦闘機」という『ひなぎくと怪獣』からのナンバー3連チャンで本編は終了。「F.U.T.U.R.E.」の凄まじさを受け継いだこれらの楽曲は、申し分ない訴求力と爆発力を持ってフロアに届き、フロアもそれに拳を上げた熱狂で応えていた。そして、アンコールは「愛の跡地」でスタート。この曲は恋愛をモチーフに過去への思いを歌ったバラードだが、思えば、この日のセットリストを見てみても、SEBASTIAN Xの曲には喜びも、悲しみも、虚無も、愛も、孤独も、本音も、理想も……あらゆる感情を表現する楽曲が並ぶようになった。今の彼女達にとって音楽とは、それほどまでに届けるべき思いを託せるものなのであり、思いを他者に伝えることは、自分達にとっても、その聴き手にとっても、重要なことなのだ。アンコールは「ROSE GARDEN, BABY BLUE」、「世界の果てまで連れてって!」へと続き、2度目のアンコール「ツアー・スターピープル」でライヴは終了。SEBASTIAN Xというバンドの真価、そして進化を強く実感できる、本当に素晴らしいライヴだった。

だが、この先への期待も込めて最後にひとつだけ苦言を呈したいのが、MC。砕けた形のMCがSEBASTIAN Xらしさであることはわかるのだが、今回のライヴでは演奏が本当に素晴らしかった分、MCで流れが止まってしまい、空気感がリセットされてしまうのがもったいなかったように思う。無論、集まったリスナーに対して言いたいことがたくさん零れてくるのはわかるが、本当の気持ちというのはやはり、言葉にするのは難しい。それはこの日、永原自身が“本当の気持ちを真面目くさって言いたくない。冗談のひとつも言いたくなる”と語っていた通り、彼女達自身が一番わかっていることなのだと思う。必要以上の言葉は無粋になると。直接語れないこと、今まで言葉で補ってきたことを、もう音楽は語り始めていると。既に、SEBASTIAN Xの楽曲とパフォーマンスはそういうレヴェルにまで来ているのだ。なので、ライヴの流れに対しては今後もっと意識的になって欲しいと感じたし、逆にこの先、より素晴らしいコミュニケーションがバンドとリスナーとの間で生まれる可能性も十二分に感じさせたのも、この日のワンマンだった。SEBASTIAN Xに対する期待はまだまだ止まらないのだ。

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