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INTERVIEW

Japanese

それでも世界が続くなら

2019年09月号掲載

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Member:篠塚 将行(Vo/Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

-昨年リリースしたベスト・アルバムのタイトルが、"僕は音楽で殴り返したい"だったじゃないですか。あの拳の感じっていうのは、まだここにもあると思います。

ありますかね。自分ではよくわからないんですけどね。

-むしろこのアルバムはそれが強くある気がしたんですよね。

僕、インタビューのときって話をそらすタイプなんです。曲のことに触れさせないようにしてきたんですけど──

-知ってます(笑)。

なので逆に僕がインタビューしてもいいですか? このアルバム、どうでしたか。

-いいアルバムだと思います。先ほど音楽は自分の親友であるという話をしていましたが、そういうことではこの親友に助けられる人たちもきっとたくさんいるんだろうなと思うし、そのくらい強いものだと感じたんです。

なるほど、僕の曲をそういうふうに思ってくれる人もいるんですね。僕は自分では自分の曲を強いとは思わないし、強い弱いの価値観にすら入らない突然変異みたいなものだと思ってるんですけど、精神的な強さとはともかく、物理的な強度はあるかなとは思います。言葉の強度っていうんですかね。狙って書いてるわけではないんですけど、例えば、世間一般のJ-ROCKと僕の曲が、刀と刀のつば迫り合いみたいな状態になると、質は僕の方が悪いと思うんですけど、強度で相手の刀を折ってしまうんですよね。特にライヴとかだと、どんなに崇高な目標を掲げてやっているバンドの人と対バンしても、洗練されていない僕の鈍器が相手の刀を折ってしまうときがあるんです。感覚的にですけどね。

-その人が伝えようとしてる優しいもの、柔らかいものっていうのをぶち壊してしまうというのは、意図なくなんですよね。

意図や意志があったらまだマシじゃないですか。僕は他人と自分の音楽をもう比べる気力がないっていうか。ただ単に、自分が曲を作ってみたら、わりと刃物みたいだったというか。映画の"シザーハンズ"みたいですよね。良かったよって相手の肩を叩いたら、悪意なく切り裂いてるみたいな。触れてごめんって気持ちになるんですよね。傷つけたくないなっていう。

-でも、それをうまく隠す術も理由もないわけですよね。

ただ、そうなると音楽を辞めたほうがいい理由にはなりますからね。何もやらなきゃ誰も傷つけないですし。関係ないですけど、例えば趣味で、Twitterで140字とかで歌詞送ってくれたら、それに曲をつける遊びとかやろうかなって思ったりするんですよ。誰も傷つけないし、人のことだと一生懸命になれるので。

-はい。それは篠塚さんがプロデュースするバンドを見ていても思いますよ。ひとりひとりのことちゃんと見てるな、見抜いているんだなっていうのは感じる。

できてるんですかね。自分じゃわからないっていうか、結局、僕は単純に自己評価が低いんですよね。だから、自分のことに一生懸命になるのに罪悪感があるんです。僕の曲を聴いてくれている人は、僕にとっては名前を知らない親友みたいなものなので、いつか自分を大事にしろよ、誰のことも気にするなよって好きな人には言いたいですけど、僕ができてないから。言えずにただ思っているだけって感じなんです。

-その人のことにはすごく手をかけられるし、見えてしまうっていうのは、曲に出ていると思うんですよ。自分のことも歌っていると思いますけど、それがちゃんと君への曲になっているし、なんなら君の代わりに音楽で嫌なやつを殴ってやるしという、そういうものだと思うんです。

うん、結局相手がいないと、というか、世界に僕しかいなかったら、きっとこういう歌にはなってないですよね。自分のことは、わかってるようでわかっていない、ってあると思うんです。僕は自分がどんな人間なのかも全然わからないし、自分の曲が明るいのか暗いのかもわからないですからね。

-活動中止時期に曲を書かないことで、禁断症状を起こしながらブワーッと曲を書いてしまったわけじゃないですか。そのときって、何か思い浮かんでいたんですか?

最初に書いたのが、「死にたいって言えばそれだけで」という曲だったんです。これはもともと仮タイトルが"活動中止"だったんです。バンドをやらないようにしようかなとか考えていて......そのままじゃないですか、この曲。

-そのままですね。

ただ活動中止のことを歌ってますよっていうだけではもちろんないし、"活動中止"ってタイトルにしちゃったら僕の自分語りだと誤解される気がしちゃったというか。そもそも僕は曲にした瞬間に、僕の曲だとは思っていないんです。聴いた人にあげるという言い方がいいのかわからないですけど、僕のものとかそういう感覚じゃないんですね。会話がしたかった。だから直接的なタイトルはなくして、歌詞をそのままタイトルにしたんですけど。内容は聴いてもらえたら、そのままです。

-例えば「地獄に落ちろ」の "「聞いてくれよ」とミュージシャンが歌う/伝えることは素晴らしいって顔して/でも「聞いてほしいのは私なのにな」/彼女は笑って/泣いていた"というところは、すごくそれでも世界が続くならだなと思いました。

ずっと曲を書いてきたけど、僕は別に這い上がろうとしてたわけではないと思うんですよ。でも不幸になりたいなんて一度も思ったことがないんですよね。曲を聴いた人間を不幸にしようとか、暗い気持ちにさせようとか、俺はダウナーな人間だとか、そんなことを思ったことは一度もないんですよ。でも、1回止まったからこそ思うんですけど、今まで本当の意味で引っ張り上げてあげることはできなかった気がするんです。

-そうなんですかね。

救われたと言ってくれる人もいるんだけど、僕らの音楽のことを好いてくれてるからなのかなって思ってしまうっていうか。現実的に何かできるなんて思ってないけど、もしできるなら、僕の音楽を聴いたみんなを文字通り救えるもんなら救いたいかったですよ。よく"誰かに伝わってほしい"とかいう人もいるじゃないですか。伝わってほしいというエゴがあるんだったら、曲以前に、普段の生活から頑張って誰かに伝えますよ。でも普段の生活でそれができなかった僕は、なんとなくじゃ "伝わってほしい"なんて思えないし。ただもう一度バンドやるとなったとき、伝えるってこと以外に、ひとつでもいいから理由を見つけないと、メンバーがやってくれるからやるになっちゃうのは申し訳ないなって思ったんですよね。それで、そもそも俺何ができるんだっけって考えたら、人生がキツい人はいっぱいいると思うんですけど、一緒に地獄に落ちるのはできるなって。引っ張ってあげることはできないですけどね。でも、誰かが一緒にいてくれたら、地獄の中でも嬉しいとあの頃の僕なら思ったはずなので。"地獄に落ちろ"っていうそのままの言葉の意味で捉える人だけの人には、わからないと思うんです。でも、地獄に落ちてる仲間同士だったら、這い上がれないなら一緒に落ちようぜってなるし、そういう誰かと自分に、孤独でも孤立しないでいようぜって曲ですね。

-これを歌えるのは、音楽をちゃんと信じているからですね。

もしかしたら、そうなのかもしれないですね。音楽をやる人に失望したことや音楽が生まれる経緯に失望したことはあるけど、音楽そのものに失望したことはないんですよ。音楽自体は、ずっと僕のことを救ってくれていたんだなっていうことにやっと気づいたし、特にこの活動中止にしていた間は痛感するばかりで。俺が今日までやってこれたのは、8割くらいは音楽自体のおかげじゃないですかね。売れたいとか有名になるための手段じゃないんです。音楽そのものに自分は救われてきたので。音楽は僕の大事な友達で、僕の最低な話を何度も聞いてくれたから、今も信じたいんだと思います。