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INTERVIEW

Japanese

それでも世界が続くなら

2018年08月号掲載

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Member:篠塚 将行(Vo/Gt) 菅澤 智史(Gt) 琢磨 章悟(Ba) 栗原 則雄(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり

-1曲目の「イツカの戦争」がリードでMV曲となりますが、これが歌もサウンドもテンションがものすごい曲で、引き込まれますね。

篠塚:ロック・バンドのアルバムって、本来こうなってないとダメというか、僕はこっちが自然だと思っているんですよね。レコーディングのときって、ヘッドフォンをして、マイクの前には金属のあみあみがついてて(ポップガード)──

琢磨:あるね、あみあみ(笑)。

篠塚:そのあみあみの前で歌うわけじゃないですか。まぁ、それは大人しくもなりますよね。ガラス越しには、先輩や後輩や、エンジニアさんやアシスタントの人が見えていて、たまに取材の方がきたりとか。普通に考えたら、気取りもしますわなっていう感じになるじゃないですか。もちろんそれがいけないわけじゃなくて。こういう僕らみたいなバンドがいて、こういうアルバムがあっても、全然おかしくないんですよね。でも"すごいテンションですね"ってなっちゃうじゃないですか。

-はい。

篠塚:俺のテンションが高いんじゃないんですよ、みんなが低いんです。なんで低いのかって言ったら、"レコーディングでちゃんと歌わなきゃいけないんじゃないか"、"クリックどおりに歌って、ピッチをちゃんとしなきゃいけないんじゃないか"って、みんなその"ちゃんと"をやってるというか。

-"作品を録る"という意識があるのかもしれないですけどね。

篠塚:作品ですけど、一様にリズムやピッチが合っているかとか、それをさらに機械で修正して、それを作品だと言われても、俺は作品と思わないんですよね。それだと流れ作業でできたバイトみたいな感じじゃないですか。僕がバンドを好きになったのは、そんなバイトみたいな姿が見たいからじゃないんです。現代の音楽はそういうものなんだなとも思うんですけど、僕は、それが見たいですか? と問われれば、そうじゃないと言いたいし──なんの話でしたっけ。

-すごく高いテンションやエネルギーがあるっていう話です(笑)。

篠塚:そうだ(笑)。だからテイクも、わざと1個しか送らなかったんですよね。切り貼りしようのない状況というか、この歌を使うしかない状況に追い込んでいました。

-ヴォーカルはすべて、自宅で篠塚さんひとりで録っているんですよね。

篠塚:自宅で録ってます。横で見られていたら絶対に歌えないと思って。場合によっては、完全に中指立てながら歌ってる感じもあるし、手で持っているからマイクが揺れているとか(笑)。揺れてるというより、声だけでエネルギーが出るわけじゃなく、全身を使うわけじゃないですか。

菅澤:たしかに、この感じは声だけじゃ無理だよね(笑)。


世界を丸ごと変えたいとかじゃなくて、一部でいい。ただ、この音楽が許される居場所を作りたい


-歌詞についても、今まさに話しているような自分にとってのロックって、音楽ってなんなのかをストレートに投げている曲だと思いますし、奮い立たせるように歌われています。

篠塚:そうですね。本当は、自分の姿勢について書いた「魔王とバッドエンド」の方が1曲目らしいというか。それを超えてでも、この「イツカの戦争」を聴いてもらって、自分には合わないと思ったらもう合わせなくてもいいというか。これだけは1回聴いてもらいたいっていう曲ですね。内容的に宣言する歌よりも、もっと自分たちを表している曲になりました。

-なるほど。

篠塚:僕は曲を作るときに、人生最後の曲だと思って作っちゃう癖があるんです。これでもし僕が明日いなくなってもいいって思える曲というか。「イツカの戦争」を書いたときは、"意味"についてすごく考えていて。バンドをやる意味だったり、歌う意味だったりとか。人って意味を見つけたがるし、あるような気がして探しちゃうじゃないですか。"生きてる意味ってなんだろう"とか。でも見つからなくて、"私は生きてる意味がないんだ、じゃあ死んでしまおうかな"って思ってしまうこともあると思うんです。でも生きてる意味とかって、そもそもないと思うんですよね。例えば、曲を聴いて感動して心が動いて、"たぶんこれだから感動したんだ"って"思う"ことはできるんです。でも本当は、自分がどうして感動したかなんてわからないんですよね。あの曲の1小節や、あの映画のワンシーンを覚えていても、だから感動したっていう理論にはならないというか。量産型の音楽が生まれることもそうですけど。BUMP OF CHICKENの佇まいやサウンドに感動して、自分もバンプ(BUMP OF CHICKEN)みたいなことをすれば、バンプみたいな感動をさせられるんじゃないかっていうロジックが、例えばですけど、ぼやっと働いている気がするんですよね。でもそれって、僕は違うと思うんです。音楽は"再現芸術"と呼ばれていて、同じ曲でも違う人が演奏したら、同じにならないっていう芸術なんですよね。「イツカの戦争」は、言わば今の音楽のセオリーからは外れたレコーディングで。じゃあその"セオリー"ってものはどう生まれたのかっていう話になったら、そのセオリーでやれば人に好きになってもらいやすいからとか、伝わりやすいという人もいるかもしれないし、売れるからっていう人もいるでしょうね。要は、そっちにしたら人は心が動くと思っているんです。つまり、この「イツカの戦争」みたいな歌い方でレコーディングをしたら、人の心を打つことはできないし、"ライヴじゃないんだぞ"という人もいるかもしれない。でも、そのセオリーから外れたもので人の心を打つとしたら、それは本当の芸術なんじゃないですかね。僕にとっての音楽、ロック・バンドってそうじゃない? と思いたいというか。それができたんですよね。できたって言えるのが、嬉しいことですからね。

-思っていたことが、形になったんですね。

篠塚:今の音楽業界のセオリーで言ったら、こんなアルバムが人に響いちゃいけないんですよね。こんな歌い方で、こんなサウンドメイクで、これやったらダメだよねって言われていることのオンパレードじゃないですか。だからこそ、これが僕らだとも言えるし。クリック使ってないし、一発録りだし、ギターの重ねもないし、完全にライヴで再現できるんですよ。そこはすごいと思いますね。でも、一発録りだから許されるみたいな言い訳にはしたくなかったんですよね。せーので一発録りだけど、音を足したり直したりして、おしゃれなものができました、でも再現はできませんというのは、言うなればバーチャルな音楽で。そのバーチャルなものにリアルが負けてるのは嫌だったので。バーチャルなアートも素晴らしいですけど、4人だけの音楽で、リアルがバーチャルに追いつくというか。そういのをやりたかったんですよね。話が戻るんですけど、そういう意味でも、セルフ・タイトルになったというか。ジャケットもこういう、終演後のステージを描いてくれたもので。

-ジャケットはシンガー・ソングライターの森本百恵さんという方が手掛けているそうですね。これが、絵とは思えないリアルさで。

篠塚:僕らも見たとき感動しましたね。これは名古屋のCLUB ROCK'N'ROLLというライヴハウスなんですけど。ワンマンが終わったあとのステージを絵にしてくれたんですよね。その子はガンの闘病中で、余命宣告を受けていたこともあるんですよ。でもその日を越えて、ライヴにも来てくれて。その子がそうやって生きた時間が絵になって、いつかジャケットにしようってなって。その子から見たリアルというか、本当にあった時間で。その子の目に焼きついてくれた光景だと思うんです。そういう誰かの人生みたいなものって、すごくエネルギーがあって。なんでかわからないんですけど、それを見たときにものすごく感動したんですよね。"僕はこういうバンドをやりたかった"って、その絵を見て思ったんです。

-セルフ・タイトルとなった意味合いはとても重く、意義あることですね。

篠塚:こんなの非常識だとか、こんなバンドが人の心に響くわけないとか、そういう意見を覆したいというのはありますね。世界を変えたいとかじゃないんです。ただ、学生時代の僕や、いじめられていたときの僕とかの"居場所"なんですよ。こういう考え方が通ることが、僕らの居場所ができるっていうことなんですよね。世界を丸ごと変えたいとかじゃなくて、一部でいいんです。ただ、この音楽が許される、"こういうバンドもいるよね"、"こういうのもいていいよね"っていう場所を、僕はこのバンドを通して作りたいんです。