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INTERVIEW

Japanese

小林柊矢

2022年04月号掲載

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高校時代に野球少年からシンガー・ソングライターの道を目指し始めた直後に、YouTubeにアップした歌唱動画が話題になり、SNSを開始すると同時に多くのフォロワーを集めたシンガー・ソングライター、小林柊矢。時代に左右されない曲調と心を揺さぶる生身の声の力で世代を越えた支持を集め、5曲と1枚のミニ・アルバムのインディーズ・リリースを経て、昨年11月メジャー・デビュー。今回、名刺代わりとなる1st EP『あの頃の自分に会えるなら』を3月23日にリリースした。現在21歳らしい、等身大の恋愛や本作のタイトルの由来となった小学生の頃の記憶など、誰もが自分に重ね合わせられる普遍的な内容は同世代のSSWの中でも大きな個性だ。

-最初に音楽に興味を持たれたのはどういうきっかけだったんですか?

音楽というか歌ですね。周りが、歌が大好きで。僕が生まれたとき、おばあちゃんがよくカラスの歌(「七つの子」)を歌ってたんですよ。そうやって育ってきて、ちっちゃい頃から歌うのが好きで。2歳の頃に叔父の結婚式の披露宴で「世界に一つだけの花」(SMAP)を歌ったんですよ。2歳で初めて人前に立って、自分の中で人前に立つことの素晴らしさというか、気持ち良さをどっかで覚えてて。だから人前に立つっていうのは好きだったんですよ。で、歌も友達とカラオケ行くとかしてたので好きだったんですけど、小学生の頃から野球を始めて。高1の半ばぐらいまで集中してやってたんですけど、肘を怪我しまして、ずっと見学の日々が続いたんです。で、高校の入学祝いに祖母からギターを買ってもらっていたんですけど、野球に集中してたからなかなか手をつけられなくて埃を被って置いてあったんですよ。でも、ちょっとこれを機会に手に取ってみようと思って、バットをギターに持ち替えるといいますか、そこから音楽をやり始めたって感じですね。

-家族が歌いがちな家ってたしかにありますね。洗濯するときも料理するときも。

はい。あと、何をするときも家のスピーカーでラジオをかけてるんです。だからそういうのでいろんな音楽を知らずに吸収してたのはあるかもしれない。

-小林さんは神奈川ですよね。だと何が流れてたんですかね。

多かったのはFm yokohamaですね。

-子供の頃のラジオって親しみありますよね。

そうですね。車とかでもずっと聴いてたんで。今でもFm yokohamaってのは変わらなくて。でも今、ラジオを聴く機会ってだんだん少なくなってきてるじゃないですか。だからあれを聴くと小さい頃の記憶が蘇って懐かしい気持ちになるっていうのはありますね。

-幼い頃にラジオで聴いてた曲は記憶にあったりするんですが。

僕はほんとにちっちゃい頃なんですけど、mihimaru GTの「気分上々↑↑」でしたっけ。よく流れてた記憶があります。

-中高になると音楽の聴き方が変わってきませんか?

そうですね。スマホを持ち始めてからYouTubeを観られるようになって、それまでお母さんに"これ借りて"とか言って、CDのレンタルを頼んで聴いてたんですけど、自分でいろいろ探せるようになったんで、幅はすごく広がりました。で、サブスクもだんだん使えるようになってきて。

-一番初めに自分で曲を作ったときの作り方はどんな感じだったんですか?

もうギターを持ったと同時に自分の曲作ろうってなって作ってたんですけど、理論もわからないし、コードさえもちょっとあやふやだったんで、いろんな曲を真似たというか。最初は例えば誰かの曲のコードだけを借りて、メロディをつけるみたいなやり方でしたね。

-タブ譜ですらないんですね。

野球部をやめてから高2の終わりぐらいまで軽音部に入ってたんですけど、そのときはちらっとやってましたね。バンドはバンドでめちゃくちゃ楽しかったですけど。あと、なんか自分に自信があって(笑)、途中から入ったんですけど、すぐに抜かしてやろうみたいな野心がありましたね。ま、やめたんですけど(笑)。

-結局ひとりでやることになったのは何が大きかったんですか?

最初の要因としてはバンド・メンバーがなかなか練習に来ないので、バンドが単純に解散したっていうのがあるんですけど(笑)。一番尊敬してるアーティストは秦 基博さんで、秦さんの影響で、ギター1本持ってきてひとりで歌うっていうのに憧れてたのはあるかもしれないです。

-秦さんの何が魅力ですか?

一番ダイレクトにすごいなと思ったのはあの声ですよね。キャッチコピーで"鋼と硝子でできた声"ってあるんですけど、その通りで。自分自身は声変わりもあって、全然高音が出なくて悩んでたんですよ。で、いろいろ研究したんです。秦さんは最初からスポーンってあの声が出たって聞いたんですけど、僕はいろいろ研究しながらこの声にたどり着いたので。あとはメロディにも、人間性にも惹かれたし。

-ほかにも玉置浩二さんやハナレグミさんもお好きだと。先日、海外のYouTuberの方が日本の音楽をレコメンドされて、前知識なく玉置さんの動画を観て泣いていたのが話題になってましたね。

ありますね。リアクション動画みたいな。国境越えますよね。あれは言葉じゃないですよ。やっぱり玉置さんに惹かれた一番のポイントも声ですね。

-声の表現は意味を越えるというか。

そうですね。歌詞を知らないからこそ表現っていうのがより強調されるんだと。1回ライヴに行かせてもらったんですけど、席が一番後ろだったんですよ。会場はそこそこ大きかったんですけど、1回玉置さんがマイクなしで歌ったんです。なのに、途中までマイクを使っていないと気づかないぐらいの声量で、低いところから高いところまで出していて、ほんとに心から震えたのは覚えてますね。声量は後天的に大きくできるのかわからないですけど、自分もだんだん大きくしていって、ああいう声に近づけていきたいなと思いました。

-そして昨年11月のメジャー・デビュー以降、環境は変わりましたか?

そうですね。ありがたいことにこういう取材だったり収録だったり、番組に出させてもらう機会も多くなって。あとは周りに大人の方が増えたりとか(笑)、そういうのでいろいろ実感してます。

-でも小林さんはすでにファンダムを形成されていたので。

いえいえ(笑)、そんなことないです。

-でも自らアクセスしてくれる人がこんなにたくさんいるわけで。

ほんとにありがたいです。

-だからあんまり怖いものはないんじゃないですか?

いやー怖いものだらけですね。それこそ、たくさんの方が期待してくれてるからこそ、頑張んなきゃ、売れなきゃっていうプレッシャーもあるし、いい曲書かなきゃって日々(笑)。でも結局は自分が楽しんで、それをみなさんがサポートしてくれて、ほんとに心から小林柊矢の音楽を好きって言ってくれて、"好きにやってくれ"って言ってくれてる環境があるので。だから自分らしさをちゃんと持ちつつ楽しんでやれたらなと。