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INTERVIEW

Japanese

神山羊

2020年03月号掲載

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ボカロP 有機酸として楽曲制作をスタート。神山羊名義で初投稿した楽曲「YELLOW」のミュージック・ビデオが4,000万回再生を突破(2020年2月時点)。また、ずっと真夜中でいいのに。の「君がいて水になる」の編曲、DAOKOの「涙は雨粒」の作曲編曲などでオリジナルなポップ・センスを見せ、Spotifyが選出する"Early Noise 2020"10アーティストにも選出。今年、最も目が離せないサウンド・クリエイター/シンガー・ソングライターである彼にとっての音楽観、そしてメジャー・デビュー曲「群青」について――不敵で軽快なフットワークを見せる神山羊とはどんな人物なのか?

-改めて有機酸としての最初の「退紅トレイン」(2016年リリースの『error EP』収録曲)を今聴くと、ボーカロイドで活動してる方の中でR&Bのテイストがあることが、強みになっているのかなと感じました。

ありがとうございます。嬉しいです。

-神山さんご自身はボカロPとして曲を作るのはなんのための手段だったんでしょう。

実は僕自身、ボーカロイド世代というかボーカロイドを聴いて育った世代じゃなくて。自分がやることになって初めてボーカロイドと出会った人間なので、エイリアンというか(笑)、その渦中にいる人にとっては"なんだこいつ?"みたいな状態だったんです。もともとはインディーズでバンドをしていて、シューゲイザーをやっていて。そのあと就職するタイミングで音楽を辞めたんですけど、ボーカロイドは、また音楽に戻ってくるきっかけでした。

-バンドを辞めてトラックメイキングに向かうこともできたと思うんですけど、ボカロPに向かったということは歌モノを作りたかったんですか?

そうですね。歌モノを作りたかったんだと思います。ギター・ロックとかパンク・ロック、ハード・ロックとかのギター・ヒーローにあんまり憧れてこなかった世代というのもあって。サウンドとしてのリバーブやノイズの感じ、ギャン! っていうサウンドのそのものを愛しているのかもしれないですね。

-そこから広がっていくものってありましたか? 例えばアバンギャルドな音楽、もしくはハウスとかテクノとか。

そうですね......でも、そのあとはクラブ・ミュージックに行ったんで、ギターから離れたんですよ。当時もうギターを持って音楽するのダサいと思ってたんで(笑)。

-それはどういう反動で(笑)?

その時期はTHE CHEMICAL BROTHERSとかUNDERWORLDを聴いていたので、打ち込みで音楽を作るほうに興味が湧いたって感じです。

-でも、ダンス・ミュージックのトラックメイクはしなかった。

そこはあんまり興味が湧かなかったんですよね。バンドをやる以前にJ-POPにすごく惹かれていた時期があって。それこそジャニーズの楽曲を作ってらっしゃる作家さんにハマったこともあるし、宇多田ヒカルさんをはじめ、ポップ・ソングの強度に惹かれていたんですよ。なので、自分で音楽をやる、作るってなると、歌モノを作ってみたいなって思ったんですよね。

-ジャニーズのグループはいろんな作家さんとの関係がありますけど、どの時代ですか?

僕はSMAPの初期が好きです。めちゃめちゃ影響を受けている感じでした。だから、僕が歌モノを作って、特に男性が歌うっていう視点になると、あの頃のエッセンスを今持ってきたら面白いんだろうなってことが頭に浮かんだりするんですよ。

-神山さんが自分でも歌うようになった一番の動機はなんですか?

一番大きいのは、単純にボーカロイド楽曲での活動に息苦しさみたいなのがあって。別のアプローチをずっと考えてたんですよ。自分で歌うのが正解だとは思ってなかったんですけど、今のチームのメンバーに出会って、"歌ってみたら?"みたいな流れになったりして、かな?

-昔のボカロPのメロディは白玉系のわかりやすい曲が"いい曲ですね"って言われて、パターンが似てる印象はありました。それはお客さんが若いというのもあるんでしょうけど。

おっしゃる通り、マーケットの年齢層がめちゃくちゃ若くて、且つ新しいものが受け入れられにくい世界があるので、ストライクゾーンがわかりやすくて絞られてるっていう、面白くない形にどんどんなっていったんです。で、その中で戦ってることがあんまり面白くなくなっちゃって。その1年前に須田景凪というアーティストが――僕、彼とすごく仲がいいんですけど、彼がボカロPから須田景凪になっていくタイミングだったんですよ。僕も違う流れを作りたい時期だったので、彼と活動していくなかで......っていう感じかな。同時に、僕が大好きだったJ-POPがどんどん興味の湧かないものになっていたから海外の音楽を聴くようになって、日本の音楽にすごく疎くなった自分もいたので、自分がJ-POPをやることで、面白いものを世の中に出していきたいなと思ったのが最初のきっかけでしたね。

-神山さんが日本の音楽を面白くしていきたいと思ったとき、影響を受けた海外の音楽ってなんだったんですか?

海外から僕が一番影響を受けてたのがファッションだったんですよ。THE HORRORSってバンドが大好きで。UKロックがちょっと面白いなと思ったときに、彼らがピタピタのスキニーを履いてるので僕もそれを履いて、真っ黒な服を着て。で、ガレージ・ロックをやったり、シューゲイザーをやったりしてたんですけど、現象としての音楽の役割をそこに感じるというか、ちゃんと憧れる対象になってるんですよ。

-神山さん自身のリスナーとしての体質は雑食なんですか?

むちゃくちゃ雑食だと思います。嫌いなものはないです。好きなものしかないです。

-じゃあ、ヒストリーとして自分を構成している要素と言えば?

要素は、それこそジャニーズの90年代ポップスが、たぶん作詞作曲に影響しているんですよね。で、ヒップホップも好きだから、Travis Scottとか今のアーティストも聴くし。あと、日本のバンドだとサカナクションが好きなんですよ。

-音楽的にもスタンス的にも?

スタンスですね。サカナクションとか星野源さんとかは、ポップスをやりながらも自分のマインドをちゃんと出しているところも好きで。あとはレイ・ハラカミさんも好きです。。あと僕、ちっちゃい頃からジャズ・サックスをやってたんです。今はやってないですけど、ジャズとかクラシックとかも好きなんですよ。

-ジャズ・サックスのときは誰の曲を?

めちゃくちゃ広いですけど......まだ子供でしたからね(笑)。CANNONBALL ADDERLEYとか、それなりに大きい存在の人を聴かされてて。普通にスタンダードみたいのをやってましたね。

-その頃はまだブルーノートとかコード理論とかはわからない?

その頃は全然わからなかったですね。サックスはおじいちゃんに買ってもらったんです。いろいろあったんですけど、そのサックスがなければ今の僕はないです。東京に友達もいなかったし、人との繋がりがなかったんで何をしていいのかもわかんなかったし、自分の中で楽しかったとか自分らしさみたいなものが残せた思い出が音楽しかなかったから、そのときはまだ音楽を作ったことがなかったんですけど、そのときにできたのが「退紅トレイン」だったんです。

-音楽が最後の最後にふるいの網目から落ちなかったものなんですね。

そうなんです。僕のふるいの網目、めちゃめちゃでかいのに。もう何もかも落ちていって、何も残らなかったのに(笑)。だから粘度が高かったのかなと。