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INTERVIEW

Japanese

Omoinotake

2017年08月号掲載

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Member:藤井 怜央(Vo/Key) 福島 智朗(Ba/Cho) 冨田 洋之進(Dr)

Interviewer:蜂須賀 ちなみ

メンバー全員が島根県出身の鍵盤トリオ・バンド、Omoinotake。このたびリリースする1stミニ・アルバム『beside』には"あなたの生活に寄り添う"というコンセプトが軸にあるということで、開放感に満ちたポップ・ソング「Ride on」、前作に引き続きAlaska Jamの石井浩平とタッグを組んだ「Freaky Night」、そして初のバラード曲である「Bedroom」など、カラフルな6曲が収録されている。彼らの持ち味であるアーバンなサウンドは明るさと華やかさを増したが、その一方、どこか弾けきれないようなメンバー自身のキャラクターが音や歌詞に滲み出ているのが面白い。バンドの本質を探るため、初のインタビュー取材を敢行した。

-もともと、どういうふうに始まったバンドなんですか?

藤井:全員が島根出身で、それぞれ進学で上京してきて。僕だけ浪人していたので1年遅かったんですけど、その前からふたりはバンドやろうとしていたみたいで――

冨田:何回かネットでギタボ(ギター・ヴォーカル)を募集していて、そこで連絡をくれた人と一緒にスタジオ入ったりもしたんですよ。

福島:40歳の演歌歌手が来たりもしたよね(笑)。

冨田:そんなこともあったね(笑)。それで結局、島根時代からの知り合いだった怜央を待とうっていうことになって。そもそも怜央もドラマーだったんですよ。

-え、そうなんですか?

冨田:はい。でもドラマーのときからコーラスがとにかく上手くて。

福島:カラオケとかもめちゃくちゃ上手かったしね。歌も上手かったし、怜央がピアノを弾けることも知っていたので、"じゃあ怜央がピアノでヴォーカルやったらいいんじゃない?"っていう発想になりました。

-ということは、Omoinotake結成と同時に藤井さんはヴォーカリストに転身したと。自分がヴォーカリストとして誘われたことについて当時はどう思いました?

藤井:正直あんまり覚えていないんですけど、誘われた当時はピアノ・ヴォーカルのバンドがパッと思いつかなくて。それでネットで検索して最初に出てきたのがBEN FOLDS FIVEだったので、すぐTSUTAYAで借りてきて"こういう感じか! 何か面白そうだな"と。

-早速やる気満々じゃないですか。

藤井:まぁ歌うことはもともと好きだったので、ためらいとかは全然なかったですね。前のバンドでコーラスをやっていたときも、"当時のヴォーカルより俺の方が歌えるんじゃないかな"って思ったときはありましたし(笑)。そう考えると、当時から歌いたいと思っていたのかな?

福島:うん。カラオケのときもめちゃくちゃ楽しそうだったよ。

一同:(笑)

藤井:そもそもドラムを始めたキッカケも本当に思い出せなくて......叔父さんがやっていたんですけど、それもあんまり関係なくて。......マジで覚えてないんですよね。

冨田:でもすごく上手かったんですよ、ドラムも。僕は通ってる教室が(藤井と)一緒だったんですけど、"藤井様"って呼んでましたから(笑)。

-崇められてる(笑)。それで3人揃ってバンドを組むことになったわけですが、活動の方向性や音楽性について話し合ったりしたんですか?

藤井:いや、あんまりしなかったよね?

福島:うん。適当にスタジオ入って作ってみて、何かダラダラと――

冨田:3年ぐらいはダラダラしてたかな(笑)?

藤井:で、"これじゃマズい!"と思って2~3年ぐらい前から方向性を変えようってなって。そのときは結構考えましたね、どういう曲を作るべきかを。

-"これじゃマズい"と思ったキッカケは?

福島:"お客さん一向に増えないしなぁ"っていう......。

冨田:(笑)あと、ceroの『Obscure Ride』はデカかったよね。あれを聴いて"うわぁ!"ってなって。もともと僕はああいう音楽をやってみたかったんですけど、やり方がなかなかわからなくて。でも、ceroがバンってあのアルバムを出したときに"あぁ、こうやるんだ!"って思いました。それ以降、みんなもああいう音楽を聴き始めるようになったよね。

藤井:そうだね。当時対バンとかしてるうちに、ギターがいるバンドの縦ノリ感に絶対負けちゃうなって思うようになって、この編成なので横ノリで(曲を)作れたらいいなって思ってたんですよ。だから本当に悩み始めてた時期にceroがあのアルバムを出して。

-どういうところが衝撃的でした?

冨田:僕が好きなピアニストにRobert Glasperっていう人がいるんですけど、その人が2012年にヒップホップとジャズを融合したような音楽を『Black Radio』っていうアルバムで出していて。ceroはそれをすごく上手くJ-POPにアレンジして、いろいろな人が聴けるようにして出している感じがあったんですよ。

-洋楽的なものを咀嚼して、日本人にも聴きやすいふうにアウトプットしてあると。

冨田:はい、そうですね。

藤井:それでバンドの方向性を変えていったのが、2015年の頭ぐらいかな? 本当にあのときは大変だったよね。

福島:練習したなぁ......。

藤井:吸収したらすぐにアウトプットしていって、それで何とか形になっていった感じで。実際、やっぱりこっちの方がいいなっていう手応えはありましたね。ただ、それまではエモアキ(福島)がずっと曲を作ってたんですけど、(音楽性を)変えたら曲が書けなくなっちゃって。それで俺が頑張って曲を作り始めたっていうのもあります。