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INTERVIEW

Japanese

PAN × 打首獄門同好会

2020年02月号掲載

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2020年に結成25周年を迎え、またこの周年を前に、サポート・ドラムであったタツヤが正式加入して4人編成となったPANが、ベスト・アルバム『ベスト盤°2』をリリースする。ロックで、パンキッシュで、笑いも涙も熱い汗もあるその曲で、25年を迎えた現在も年間100本前後の怒濤のライヴを行って、全国各地でライヴ・バンドとしての名を轟かせる彼ら。今回はこのベスト・アルバムのリリースを記念して、パンと米対決ということで、こちらは結成15周年を迎えた打首獄門同好会を迎えて対談を行った。共に食べ物の曲やユーモアの視点というところでも共通点がありそうな両者に、いかにしてそのバンドらしさを作り上げてきたかを訊いた。

PAN:川さん(Vo)
打首獄門同好会:大澤 敦史(Gt/Vo)
インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 新倉映見

-PANと打首獄門同好会は対バンする機会も多いですが、初めての対バンっていうのは覚えてますか?

大澤:調べたんですよ。初めて対バンしたのが2015年6月5日の渋谷CLUB QUATTROでしたね。PANの20周年の"~PAN 「ベスト盤゜」リリースツアー~【ベスト盤゜でベストPANツアー】"のときで、NUBOと打首獄門同好会で誘ってもらって。そこからはちょこちょことありますね。

川さん:そうやな。

大澤:出会いはその前にちらっとあったんですよね。

川さん:昔から付き合いのある友達とかから"打首(打首獄門同好会)は面白い"という話は聞いていて、いいなと思ってたんです。いろんなバンドとやりたいなというのは常にあるんですけど、じゃあこういうタイミングで誘ってみようと。

-そのお誘いしたライヴまでに、実際にライヴは観ていたんですか?

川さん:ちゃんとは観ていなかったですね。

大澤:ダイスケ(Ba)さんだけは、ダイスケさんも好きな"水曜どうでしょう"という番組のリスペクト・ソング(2009年リリースのベスト・アルバム『庶民派爆弾さん』収録曲「88」)を、打首がやっているのを知っていて、以前同じ四国のサーキット・イベントに出たときに観にきてくれたんですよ。俺たちメンバーが初めてコンタクトしたのは彼なんですよね。

-対バンをしてみて、お互いにどんな印象がありましたか?

川さん:初めて対バンしたときにいろんな曲を聴いて、歌詞を聴いて。あれ、これは共通点が多いなという。食べ物の歌もそうですけど、それ以外でもお金の歌とか、お風呂の歌とかが全部打首にもあるしPANにもあるなって。共通点が多いということは、考えていることとかが似てるのかなっていう印象はすごくありました。

大澤:同じような感覚はありましたね。うちよりもPANのほうがバンド歴はずっと長いので、もちろん存在は知っていたわけですよ。で、俺は同い年というのもあって──

-あ、そうなんですか。

川さん:そうなんですよ。

大澤:同い年なのに、バンドのキャリアは10年違う(笑)。PANはすごく前からシーンにいるバンドというイメージがありながら、同い年かい! っていう親近感と、歌の内容にも親近感があって。これは、いつかお近づきになるべきだという意識はあったんです。それで誘ってもらって、"これは絶対やりたい"って言って、出会いに至った感じですね。

-同い年だったとはたしかに驚きでした。PANは高校生くらいのときに結成しているんですよね?

川さん:そうなんです。僕らは幼馴染で、中学卒業して高校1年になった5月に始めたバンドがPANで、今も続いているんですよ。年齢で言うとちょっと年上のバンドよりもスタートが早かったりするので、たまに"お前ら何もできへんかったときも歴に入れていいんか!"って言われて。

大澤:はははは(笑)。

川さん:"そこを入れるからややこしいねん"ってGELUGUGUというバンドに言われました(笑)。最初はほんまになんにもできなかったですけど、"俺らはバンドだ"って宣言したもん勝ちみたいなところがありましたね。

大澤:高校生ってことは、当時はそれぞれ部活とかがあったわけでしょ?

川さん:そう。幼稚園から一緒で、高校でバラバラになったんですよ。それぞれフォーク・ソング部であったり、軽音部であったりに入って、放課後の遊びとしてバンドをやるかみたいなことでしたね。中学時代はメンバーみんなバスケ部で僕は野球部やったんです。それで、バスケ部の中でバンドやろうみたいになってて、"バンドやるけど、お前もやる?"ってなったのが始まりですね。ほんまに遊びで何もできないのに、初めてのスタジオを予約してという。そのときはすげぇ衝動的やったというか、とにかくスタジオに入りたいみたいな感じで。

大澤:それが楽しいわけでしょ。

川さん:そう。近所のスタジオに電話したら、夜中12時から朝6時のオールナイト・パックで1部屋空いてると言われて。6時間で1万円だったんですけど、入ろうと。ギターのゴッチがそのときフォーク・ソング部に入っていて、先輩に曲を教えてもらったとか言って、長渕 剛の「しゃぼん玉」だけ弾けたんです。だから、できる曲は「しゃぼん玉」しかない。

大澤:6時間「しゃぼん玉」(笑)。

川さん:ゴッチがジャーンって弾いているのを4人が見てるというね(笑)。弾いて歌って"疲れたな、何する?"、"じゃあ、「しゃぼん玉」"って。

大澤:それがPANのスタートだったとは。なかなかそうやって集まった人間で25年続かないですからね。

-できる曲が少ないと、つまらなくなってしまうってこともありそうじゃないですか。

川さん:はじめはドラムのやつが、ヴィジュアル系が好きだったから、"とりあえずこれやろう"ってLUNA SEAのスコア・ブックを持ってきて。

大澤:その流れ、世代が同じだからわかるわ~。

川さん:それでLUNA SEAのコピー・バンドから始まって、最初に「MOTHER」をやったけど、歌が難しすぎるし、言うたら演奏が繊細なものだから、どうにもならなくて。まず、ヴィジュアル系の壁にぶち当たって、俺らなんか違うんちゃうかってなったんです。で、ユニコーンをやってみようってやったら、それもそれで難しくて。

大澤:まぁ簡単ではないねぇ。

川さん:そうやってるうちに、"俺らは好きなバンドがおるやん"って。中学からTHE BLUE HEARTSを聴いていたので、THE BLUE HEARTSをちょっとやってみたら、気持ちいい、合ってるかもっていう。そこからTHE BLUE HEARTSのコピー・バンドをするようになったんです。

-最初にこういうバンド、こういう曲のバンドをやってみよう! っていう始まりではなかったんですね。

川さん:まずは、スタジオに入るというのがあったんですよね。コピーしたバンドは全部好きやったんですけど、自分らでやったときにしっくりきたのがTHE BLUE HEARTSやったんです。最初の1~2ヶ月、バンド名はまだ付いてなかったんですけど、1995年にTHE BLUE HEARTSが解散したんですよ。で、最後にオリジナル・アルバムを出しますって出したのが『PAN』というアルバムで。"よし、じゃあ俺らはそのアルバムのタイトルをバンド名にしようぜ"って言って、PANとしてから25年という。

大澤:アルバム名からバンド名にしましたっていうのは、本人たちに言ったことはある?

川さん:ニアミスはあるけど、本人にはまだ会ったことはないな。でも、PANという名前で活動していたことで、THE BLUE HEARTSのトリビュート盤(『THE BLUE HEARTS SUPER TRIBUTE』)に入ったことはあって。ダイスケの携帯に留守電が入ってたから、聞いたらTHE BLUE HEARTSのベースの方(河口純之助)からで、"トリビュート・アルバムに参加しませんか"っていう。そういうのもあったので、ちょっと知ってはくれていると思うんですけど。

大澤:今、"俺たちそれで高校時代にバンドの名前を決めたんですよ"っていうのを、もう40のおっさんから聞くのもね(笑)。