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INTERVIEW

Japanese

ハルカトミユキ

2015年10月号掲載

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Member:ハルカ(Vo/Gt) ミユキ(Key/Cho)

Interviewer:天野 史彬

-ハルカさん、前回の取材のときに"私はスターになりたい"っておっしゃっていたじゃないですか。そのひとつの答えって、そこにあるのかなって思うんです。ステージの上に立つ人って、お客さん全員の人生に直接的に手を差し伸べられるわけではないじゃないですか。だからこそ、音楽や作品が必要なわけで。お客さん全員に"ひとりじゃないよ"って言うんじゃなくて、ひとりで生きる力を与えることのできる存在が、本当のスターなんじゃないかって。

ハルカ:うんうんうん......やっぱり、"ハルカ"にならなきゃいけない、と思うんです。"福島遥"っていう人間と"ハルカ"っていう人間が私の中にいて、そのふたりは問答しているんです。でも、はっきりと"ハルカって何者なんだろう?""ハルカって何を歌っているんだろう?"っていうことを、歌詞を書きながら考えたことがあって。それが実際、"スターになりたい"と思ったことにすごく繋がっているんです。"なんで書けないんだろう?"って悩んでいるときって、"福島遥"と"ハルカ"の境界線が曖昧だったんですよ。でも歌詞を書いていくうちに、ハルカトミユキのハルカだからこそ"肯定する"と言えるし、ハルカ自身がステージに立つひとりぼっちな存在として、すごく自分の中ですっきりと認識できた瞬間があったんですよね。

-なるほど。"ハルカ"を自分の中で孤独な存在として許容することで、聴き手の孤独も受け入れることができる。ミユキさんは、カタカナの"ミユキ"としての存在を考えたりしますか?

ミユキ:今、話を聞いていて思ったんですけど、あんまり考えないんですよね。もちろん、スイッチはあるんだけど。やっぱり、歌詞を書かないからかなぁ......。

ハルカ:いや、性格じゃない?

-ははは(笑)。

ミユキ:それこそ、家に帰ったときは"普通のみゆきさん"だけど(笑)。私って、ジャケットとかアー写を見た人からは"怖そう"って思われたりするけど、ライヴで喋る姿を見ると"あれ?"って思われるというか、"意外とやんわりしている人なんだね"と言われることが多くて。でも、私は普段からこういう人なので、変えたくても変えようがないんですよね。演じることもできないし。だから......ないです(笑)。

-でも、ミユキさんって、音楽に対しては理想主義者なイメージがあるんですよ。ステージに立つ人として"変わろう"という意識はなくても、音楽によって現実から切り離される感覚を求めているというか。

ミユキ:あぁ、80年代のUKの状況ってそうですよね。どうしようもない社会状況から逃げたくて、でも逃げられなくて、"もういいや、楽しんじゃえ!"って弾けてしまう感覚。それは私にもすごくあって、特にスタジオではそんな感じなんですよ(笑)。馬鹿みたいに楽しんでいるふうに見られるかもしれないけど、でも本当は、そこで普段のストレスとかイライラすることを音楽の中で発散させていて。その感じは昔からありますね。でも、ハルカはステージに立てば何が何でも切り替わることができるでしょ? 私の場合は、普段の性格の中でどうしようもなく嫌なことがあったら、ステージ上にそれを持ち込んでしまう可能性もあるんですよね......。

-でも、それこそ音楽で弾ける原動力になるんじゃないかですか(笑)?

ハルカ:そうだよ。

ミユキ:はい(笑)。

-今回歌うことのできた"肯定する"という大きなテーマは、この先の表現にも繋がる命題になったなって思いますか? 僕は、このテーマは、この先のハルカトミユキの表現に1滴ずつたらされていくエッセンスになるのかなって思うんです。

ハルカ:そうかもしれないですね。根本的なものとしてずっと流れていくのかもしれない。これからも、"私が歌う意味ってなんだろう?"と考え続けると思うんです。考え続けて、また形は変わると思うんですけど、"肯定する"とここで言えたことは、この先に書く曲に影響していくんじゃないかと思いますね。

-今回は、すごくダイレクトに言葉にしたじゃないですか。今後形が変わっていくとして、人を肯定する音楽って、どんなものなんだと思いますか?

ハルカ:「肯定する」の始まりってのは、本当に、価値のない、くだらない私を、誰か肯定してくれ、っていう気持ちだったと思うんだけど、それが、みんなの「肯定する」になるには、ライヴで私がすごく汚かったり、崩れていたり、嘘じゃなくてちゃんと壊れていることで、それで初めて"観てくれる誰かを肯定することができる""肯定する権利がある"って気がして。私が手を汚さないままだと、"この人は私たちのことを肯定してくれている"なんてこれっぽっちも思えないと思うんですよね。だから、私はそこを目指しているのかもしれないです。