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INTERVIEW

Overseas

THE 1975

2022年10月号掲載

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Member:Matthew Healy(Vo/Gt)

Interviewer:新谷 洋子

日本に行ったことは、バンドを本当に大きく変えたんじゃないかな


-"Being Funny In A Foreign Language"というアルバム・タイトルが、どういう文脈で選ばれたのか教えてください。

Matthew:究極的には、賢くあることについて述べているタイトルなんだ。誰かが外国語で人を笑わせているところを目撃した、あるいは、英語が母国語じゃない人に自分が笑わせられたとき、僕は何にも増して感銘を受ける。"うわ、これってものすごくたくさんの知識を要することだよね"って思うんだ。そもそも人を笑わせることからして簡単じゃないし、文化的なニュアンスみたいなものをちゃんと理解したうえで、意図的に人を笑わせるなんてことは、僕にはとてもじゃないけど理解が及ばない。それを実践するには、本当の意味で他者と共感し、本当の意味で異なる文化的視点を理解する必要がある。誰もがそれをゴールに掲げたなら、もしくは、誰もが人を笑わせられるくらいに外国語をマスターしたなら、グローバリゼーションが引き起こす衝突なんかを解決できるんじゃないかなって思う。人を笑わせようとするってことは、心を通わせようとしていることを意味するわけだから。僕はそんなことを考えながらこのタイトルを選んだんだ。

-他のメンバーも賛成してくれたんですか?

Matthew:うんうん。みんなオッケーしてくれた。彼らは異論を挟まない......いや、そんなこともないな。僕が書くことを編集したり、確認したりしている。でもそれは、僕が真実を伝えていないと彼らが感じたときだけだよ。真実じゃないかもしれないことを歌わせるくらいなら、何かみっともないこととかを言わせて、僕に恥をかかせたほうがいいと彼らは思っているからね。

-ヴィジュアル表現においても今回は大きな変化がありました。サミュエル・ブラッドリーが撮影した白と黒を基調とした写真で統一されていますが、ジャケット写真のチョイスなど、今回のヴィジュアルのコンセプトについて教えてください。

Matthew:まず、車の上に立っている僕を写したジャケットの写真は、"Music For Cars"時代の終焉を象徴していて、あの時代がどれだけ困難だったかということを物語っている。素晴らしい時代でもあったわけだけど、ひとつの時代が終わったことで、僕らは何かを取り戻したようなところがあるんだよね。これもまた僕らの核心的なアイデンティティに関係していて、僕はこんなことを考え始めたのさ。"さてと、今の僕らはフェスのヘッドライナーを務めるまでになった。じゃあ、そのときのTHE 1975はどんな姿をしているんだろう?"と。つまり、君がフェス会場にいて僕らは君の右手にあるステージに立っていて、君はステージのほうを見ないまま通り過ぎようとしている。そのときに君の周辺視野には何が映っているのか? それはおそらく、ピンクとブラックとホワイトいう色彩だろう。たぶんね。そこまで限定しなくちゃいけない。あとは、スクリーンに映る僕の髪型くらいなのかな。それがTHE 1975なんだと言えなくもない。じゃあそれで行こう、自分たちが何者なのかっていう部分に焦点を絞ろう――そういったアイディアに根差しているんだ。"THE 1975ならどうするだろう?"と考えると、何をするべきなのか、すべてが自ずと決まってきたんだよ。例えば、"THE 1975はどんな広告キャンペーンを街頭で展開するだろう?"と考えてみる。それは大きな書体で何かを宣言していて、すごくミニマリスティックで、インターネットに言及しているはず。そんなふうに見えてくるんだ。"SUMMER SONIC 2022"でのパフォーマンスも、まさにその好例になると思うよ(※取材は8月中旬)。

-本作から聴き手に伝わればいいなと願っていることはありますか?

Matthew:わからない。すごく難しい質問だね。なぜって僕がリスナーに求めることというのは、彼らの好きなように解釈してもらうことだから。ただ相手が誰であろうと、無関心でいられることだけは望まない。"まぁ、いいんじゃない?"とは誰にも思ってほしくないんだ。愛されるか嫌わられるかどっちかがいい。もしくは、最初は嫌っていて、そのあと好きになるというのが最高の展開だと思う。そうやって本当のファンを得るんだよ。作品に対して非常に葛藤していて、でもそのあと受け入れる――と。僕はそれがいいなって思う。

-前作『Notes On A Conditional Form』の収録曲「Guys」で、あなたは2013年の初来日に触れていますよね。"The first time we went to Japan/Was the best thing that ever happened/And I wish that we could do it again"と。その9年前の来日に関して、一番印象に残っていることは?

Matthew:日本に行ったことは、バンドを本当に大きく変えたんじゃないかな。僕がこの仕事で成功している理由として、どういうわけか、自分がその時々に身を置いている場所のカルチャーについて学ぼうとするってことが挙げられると思う。だから1stアルバム『The 1975』を作ったときの僕は、マンチェスターのヒップスター・カルチャーに身を置いていて、アルバムでもそれについて語った。あれはユース・カルチャーに関するアルバムで、ラヴとかドラッグとかそういった様々なアイディアを扱っていたけど、非常に狭い世界に関して、ものすごく包括的な見解を述べている。そして次に『I Like It When You Sleep, For You Are So Beautiful Yet So Unaware Of It』を作ったわけだけど、あの頃の僕は様々な国を訪れていたから、名声や恐れについてのアルバムになった。「She's American」とか、いろんな場所への言及があったよね。日本が何を意味するかというと、この国に来たとき、自分たちは真にインターネットの産物なのだと悟ったんだと思う。僕が最初に実感したのはそういうことだった。"僕はマンチェスターにある自分のベッドルームで1stアルバムを作ったばかりで、ニューヨークでソールド・アウトのライヴを行ったばかりで、続いて日本でもソールド・アウトのライヴを行った。でも僕らはラジオのサポートを得ていない。テレビにも出ていない。これは新しい現象なんだ。前例がない出来事なんだ"と考えたことを覚えているよ。それまでは世界規模のシーンなんて存在しなかったけど、あのときまさに、そのあと10年の間に起きるグローバル化革命みたいなものの出発点に立っていたのさ。BTSがいい例だよね。アジアから輸出されて、発信された瞬間に、世界中に隈なく届く。だから初めて日本を訪れたときの僕は、"うん、何かが違う。ここはマンチェスターじゃない。でも僕らがやっていることを理解してくれている人がいる"と思った。非常に奇妙な気分だったよ。なぜってそれはリアルだったから。THE 1975を好きになったほうがいいと誰かに言われたわけじゃない。そこが違うんだよ。日本における"NME(イギリスの音楽総合サイト)"がなんなのかわからないけど、20年前だったら、"NME"が僕らのお気に入りのバンドを決めていたんだ。"さぁ、表紙に載せるよ。この曲を聴いて、このバンドに投資してくれ"と言われて、みんな"オーケー"って納得していた。でもインターネットのおかげで、聴き手が自ら選択できるようになったのさ。レコード会社やラジオ局がキッズに聴いてもらいたいアーティストがいたとしても、みんなTHE 1975を聴いていた。だから僕らを契約してくれるレーベルが見つからなかったんだ。日本に来ることで、僕はそういったことを理解できたんだよ。

-今バンドがいる場所について、本作は何を物語っていると思いますか?

Matthew:僕らはそういうことをあまり考えないようにしているんだよね。なぜって僕らの場合、誰かと競争したっていうことがない。だろう? 僕自身もあまり競争心が強い人間じゃないから、誰かが自分のポジションを奪おうとしているとか、THE 1975が勢いを失ったとか、別のアーティストがビッグになったとか、意識したことがないんだ。とにかくそういうことは考えない。もしかしたら自分のことで頭がいっぱいで、他の人のことが目に入らないのかもしれないけど(笑)。バンドの位置づけについて考えたことがないんだよ。だからこそTHE 1975は成功しているんだと思う。僕という人間は、資本主義者だとか抜け目のないビジネスマンであることと相容れないし、内側で衝突してしまうはず。でなければ、何かしら金儲けをしようと企んだと思うんだ。THE 1975は独自の世界の中で完結していて、そのまま進化し、成長してきた。でもリアルなものであるからこそ何かに属してはいないし、そもそも特定の時代に属しているとすら感じられない。今も僕らはここにいて、人々は僕らのアルバムに興奮してくれている。20年もしくは10年活動していて、同じだけの存在感を維持しているバンドって多くはないからね。僕らが正当な理由で活動しているからこそ、それが可能なんだと思うよ。

-Matthew Healyという人物に関する、もしくはTHE 1975というバンドに関する、大きな誤解があるとしたら、それはなんだと思いますか?

Matthew:わからないな。ただ言っておきたいのは、僕は自分が誤解されているとしても気に病んだりはしない。特に理不尽だと感じることもないよ。"こういうふうに見られていたら嫌だな"と感じることも、思いつかない。なんだろうね。

Jamie Oborne(Dirty Hit代表/THE 1975マネージャー):楽をしたと思われていることじゃない?

Matthew:あぁ、そうだね。

Jamie:契約してくれるレーベルも見つからなくて、自分たちでレーベルを始めなければならなくて、何もかも自分たちの力でやり遂げたのに、それでも人々は"彼らは苦労せずに成功した"と思っている。それが最大の誤解じゃないかな。

Matthew:要するに僕らは、身を粉にして頑張ってきたんだけど、不平を口にせず、自分たち独自の神話を作り上げたのさ。神話って、何も語らないことで形作られるものだと僕は思うんだ。なぜって本当の話、僕らはバンドにすべてを捧げている。僕自身もすべてを捧げていて、取りつかれているんだよ。THE 1975に僕は取りつかれている。例えば、自宅のガレージにレゴで東京の町を再現して、場所が足りなくなったからとガレージを増築しちゃうような人と変わらない。同じことだよ。僕は自分がやりたいことをやっているだけ。でも、"こいつはおそらく癇に障るやつで、ちょっと無礼なんだろうな"と思われている。僕は全然そうじゃない。実際はかなりソフトで、結構いいやつだ。でもそれは秘密にしておいてほしいな。嫌なやつだと思われていたほうが、神話のためにはいいから。