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INTERVIEW

Japanese

ЯeaL

2017年05月号掲載

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Member:Ryoko(Vo/Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

根底に、誰かに愛されたい、自分の暗い感情も認めてほしいという承認欲求があるんやろうな


-世代的には、完全にデジタル・ネイティヴですしね。個人的には、この時代に青春時代を過ごしていたら、ものすごく大変だろうなとは思うし、その途方もない情報量が、曲の中にぎっちり詰まっていますね。こういうタイプの曲の方が、Ryokoさんとしてはするっと形になりますか。

取り掛かるまでは長いんですけど、私の場合、"これだ"って書き出したら、全部5分から10分くらいで書いてるんです。ЯeaLでは、綺麗事を書きたくなくて。絶対に嘘はつきたくないし、素直な気持ちを書きたいからこそ、取り繕うことがなくさーっと書けちゃったりするんです。ただちょっと私、感覚が変なので、その変な感覚のまま書き下ろすと「カタリナ」みたいな、闇の世界にもなるんですけど(笑)。

-たしかに(笑)。「カタリナ」は捉えどころが難しい曲でもありますね。

「カタリナ」は、雑草を抜いたままの、根っこも処理せずにポンと置いたようなもので。でも、シングルの表題曲とかでは、抜いたあときれいにして鉢に植え替えた感覚というか。だから伝わりやすいと思うんです。でも、根本的には同じなんですよね。「カタリナ」は闇って感じですけど、すべての曲に通じているのは"愛"や"孤独感"、"焦燥感"で。そういうものが一貫してあるから、アルバムとして並べたときに違和感を覚えないのかなって。

-その、ЯeaLで書くテーマがわかってきたのは、いつぐらいのことですか。

このアルバムで並べてみて気づきました。自分では意識してはいなかったんですけど、根底には"誰かに愛されたい"、"自分の暗い感情も認めてほしい"という承認欲求があるんやろうなって。例えば、恋愛曲を聴きたいアーティストはこれ、泥臭い曲を聴きたいアーティストはこれ、って分かれてくると思うんですけど。私がこうありたいというバンド像は、どんなタイミングでも寄り添えるバンドなんです。泣きたいときも笑いたいときも、キラキラしてるときも、暗い感情もすべて、1対1で向き合っていきたいからこそ、このアルバムではいろんな恋愛のパターンがすべて入っているし、認めてほしい、愛されたいとか、あるいはそういうこと関係なく楽しもうよって曲とか、すべての終着点があると思うんです。"Ryoko"というひとりのソングライターとしての一面じゃなく、いろんな面を見せられたし。それは心掛けてきたことでした。

-その闇の部分を描くことは、やはり向き合うしんどさがある?

イヤですね。自分から削り出したものだから、すごく苦しいし。でも、自分を削って、対等な立場に立って向き合わないとリスナーに何も伝わらない気がして。暗い感情も、絶対誰もが持っているものだと思うんです。その暗さや重さが、人によってどれだけのものかわからないですけど、ЯeaLはそういう暗い感情をすべて取り除いてあげるよとか、照らしてあげるよとは言いたくないんです。その苦しさって、アーティストとリスナーの関係じゃなく、人間同士でも、相手の感情は絶対わからないじゃないですか。理解できないことが大前提で、話を聞くことしかできないし。それをどうにかしてあげることもできないからこそ、私は隣にいて一緒に苦しんでいきたいなって思うんです。それがЯeaLにできる最大の、伝えられる術というか。ひとりじゃないんだって思ってもらえればいいかなって。アーティストというよりは、ЯeaLってすごく人間っぽい。それが、伝わればいいなとは思いますね。

-そういう曲のあり方、表現のあり方の自分の原点ってなんだと思います?

私、子供のころからポエムや言葉を書いていたんです。たぶんそのときから認められたい思いが強くて。愛されたいとか、人の顔色とか対応とか無意識に距離感を測るようなところがあったので。閉じこもって完璧な自分を演じつつも、そうじゃない自分も認められたいところもある。それが、自分の気づかないうちに出てるんやろうなって。でもこういう感情ってきっと、私だけじゃないと思うしっていうところから、曲や言葉が出てくるのかなとは、最近思いますね。

-だからこそ、簡単に"頑張れ"とかは言えないんですね。

そうなんです。つらいときに"わかるよ"って言われても、絶対わかってないんじゃないかって思うし。それがイヤやったからこそ、自分も簡単に人に"わかる"と言いたくない。絶対に相手が見ている景色は見れないし、気持ちも理解できないけど、だからこそ一緒に苦しんで歩いていくことはできると、そのときに思ったんです。

-曲を書くこと、曲を書いて披露して共感を得ることは、自分にとっても大きなことなんですね。

そうですね。自信があるものしか出さないのはもちろんですけど、誰かにずっと見ていてほしいって独占欲があるからこそ、自分ができる最高の曲を出したいんです。「カタリナ」みたいな歌詞は挑戦なんですけど、それすらも愛してくれるんじゃないかなって、最近は思うので。

-「カタリナ」はサウンド的にも挑戦していると思いますよ。この、抑揚を抑えたメロディは、今までのЯeaLにはないものですしね。

これはAメロもBメロもサビもなく、同じようなメロディで。それがバックのサウンドで変化していくという、新しい曲なんです。ずっと推し曲で、高2で書いたときから、出したかったんですけど、当時はこの抑揚のないメロディと歌詞が絶対にあかんと思ってて(笑)。でもこのアルバムでやっと、怖気づかずに出せるなと。今だからこそ、これは私なんだって自信を持って言えるし。ЯeaLは正統派のロック・バンドだと言っていて、8ビートや四つ打ちが主流のなかで、こういう3拍子とかも入った曲は、ファンの人は好きだと言ってくれないんじゃないかなと思っていたんですけど、今だからこそ好きって言ってもらえるんじゃないかなって思える曲になったかな。

-いわゆる定番の8ビートや四つ打ちの曲が多いという話が出ましたが、どれだけ情報量が多くて濃い曲でも、ちゃんとJ-POPのマナーには寄り添ってますよね。

そうですね(笑)。

-今回では特に「それを恋と呼ぶのなら」(Track.10)が、よりどストレートにそのJ-POP感を出してると思いました。

ЯeaLとしてというか、私自身が"バンド"が好きじゃなかったので。ライヴハウスも怖かったし、バンドって不良の人がやってるイメージやったので(笑)。売れないとか、なかなか日の目を見ないのがバンドだと思ってたからこそ、バンドが嫌いやって。でも、そう思われたくないし、私は売れるバンドがしたいし、J-POPが好きやからこそ絶対にキャッチーでポップで、わかりやすいメロディでというのは常に意識していて。そういうなかでの、象徴的な曲というか。

-独特のクセはありつつも、シンプルに削がれた曲となっているし、とてもいい曲だなって思いましたよ。

嬉しいです。でも恥ずかしいんですよ。人のことを"好き"とかあまり言わないので。好きな人に宛てたラヴ・レターを、クラス中にばら撒かれた気持ちっていうか(笑)。自分の仮歌を聴いてたときも、ゾワゾワしたんです。"好きって言ってる!"っていう。

-(笑)そこは客観性がないんだ。

曲はすごく好きなんですけどね。自分として聴いたとき"もう、恥ずかしい!"ってなる。