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INTERVIEW

Japanese

memento森

2016年12月号掲載

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Member:宮地 慧(Vo) 榎本 欣司(Gt) 木原 潤(Ba) 新形 耕平(Dr)

Interviewer:秦 理絵

-メンバーをほぼ総入れ替えしてもmemento森というバンド名は変えなかったのは?

宮地:解散にするのか、そこは迷ったんですけどね。でも、memento森っていう看板は背負っていきたいなっていう思いもあったんです。とはいえ、自分で決断したものの、4人編成になってすぐは曲ができなくて。6人いたときのテンションで作るので、あれだけいろんな音が邪魔やと思ってたのに、頭の中ではアコギとかパーカッションが鳴ってたんですよ。

-それが納得できる形になるまで、どれぐらいかかったんですか?

宮地:1年ぐらいかかったかな。6人編成のときの曲を4人編成でのアレンジに落とし込もうとしたり、新しい曲を作ってはやめたりしてたんですけど、どれもしっくりこなくて。やっぱりメンバーを入れ替えたのは判断ミスやったんかなって、くよくよしてたんです。そんなときに、今回のアルバムに入ってないんですけど、「slope」(2014年リリースの1stシングル『e-s』収録曲)っていうポエトリー・リーディングっぽい曲を、榎本と一緒にアコギを弾きながら作ったんです。その曲が良いかもしれないと思えて。これは忘れもしないですけど、次のライヴで演奏して、良くなかったら考え直そうっていうぐらい切羽詰まったテンションで、「slope」をやったんです。そしたら、自分のなかで"楽しいぞ"っていう感覚が返ってきて。そこから、とりあえず過去はいったん捨てようと思ったんですよね。今までのmemento森はナシ。で、心機一転で作ったのが、今回のアルバムに収録されてる「eS」(Track.2)なんです。だから、「eS」は自分の内面を吐露した曲にもなっています。

-「eS」の"死体に蘇生施すかの様に滑稽"っていう歌詞は、前の編成で築き上げたものを、なんとか蘇らせようとしてる自分のことなんですね。

宮地:そうなんです。過去の栄光にすがりついてたんですよね。どこかで保険をかけてたんですよ。"看板を背負ったからには続けていく"っていう気概より、今まで積み上げてきたものの恩恵を授かろうっていう甘えもあったんです。それで、お客さんもついてきてくれると思ってましたから。でも、やっぱり離れていきました。もちろん今でもついてきてくれる人もいるんですけど、それが受け止めきれなくて。6人編成のときは順風満帆にいってたから、尖っていられたんです。

-今も尖ってるとは思いますけど?

木原:また違う意味の尖り方だったんですよ。

宮地:昔は、"俺はアンダーグラウンドで、ハードコア・スピリットでやっていくから、誰がなんて言おうが興味ないし"っていうぐらいのテンションでやったんです。だから本当に良い対バンの話もたくさんもらってたし、いろんな良いお話をもらったりもしたんですけど、俺はDIYでやっていくっていう気持ちだったので。でもいざ、それがなくなったときに、"あぁ、調子に乗ってたな"って痛感したんですよね。支持があったからこそ自分は尖っていられた。それも今になって思うと虚勢ですけどね。尖ってる自分に自己満足してたんです。

木原:ライヴでお客さんに怒ったりしてましたからね。"観たくないなら帰ってください"って。

宮地:自分たちの企画で100人以上を集めたことがあったんですよ。そうなってくると、お客さんも仕上がってるし、トリで僕らが出たんですけど、それだけでワーッて盛り上がるんですよね。それがすごくムカついて(笑)。"何もやってないのに、なんで盛り上がってんねん"みたいな感じだったんです。"まだ1音も鳴らしてないのに。俺たちはアイドルじゃない、ふざけんなよ"って。ご機嫌斜めになっちゃって(笑)。で、残り2曲を残して帰っちゃうっていう。ひどい話ですよ。間違ったストイックさだったんです。でも、それじゃダメだっていうことに、4人編成になって気づけたのは良かったなと思います。失って気づけることがたくさんありましたね。

-今気づけて良かったですね。サウンドに関しては、ヒップホップを軸に、レゲエ、ファンク、ロック、パンクを取り入れたミクスチャー・ロックですね。

新形:全員が好きなことをやってたらこうなったんです。

宮地:最初のころはもっとぐちゃぐちゃだったんですよ。ようやく、今言ってもらったようなジャンルの感じを汲み取ってもらえるようにはなったなと思ってますね。

木原:その指針を見いだすのに1、2年かかってるんです。みんなの個性とかを考えると、個人的にmemento森は日本のRED HOT CHILI PEPPERSになれたらなと思うんです。

宮地:あとは関西のバンド特有の泥臭さですよね。スマートにまとめようっていう気はもともとなくて。レベル・ミュージックって言うんですかね。何かに抗う音楽でありたいんです。熱血な感じで、汗をかいてる方がいいなって。

-それプラス、memento森はラテン語で"memento mori=死を想え"という意味ですね。この名前だけで世界観がイメージしやすい部分はあります。

宮地:そうなんですよ。これは脱退したアコギのメンバーと一緒に、家の近所の山奥にある砂防ダムで考えたんです。そいつが、ラテン語に"memento mori"っていう言葉があるって持ってきてくれて、いいなと思って。訳すと"死を想え"ですけど、これはとてもポジティヴな意味なんです。"死ぬことを忘れずに、今日を楽しんで生きようぜ"っていうことの反意語で、それがぴったりだなと。けど、そのままmemento moriを使うのは嫌だなと思って。それで、mementoには"記憶"っていう意味があったり、そのとき僕らは森にいたりしたので、"memento森"。霞んでる森の中で、道に迷ってるイメージが湧いたんです。過去と現在、未来が錯綜してて、そこにある音楽は、常に陰と陽、生と死、過去、現在、未来がない交ぜになっている。それが、いろんなジャンルが混ざり合ってる僕らにはピッタリだなって思ったんです。