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INTERVIEW

Japanese

ELIZABETH.EIGHT

2016年11月号掲載

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Member:ミワユータ(Vo) こふじ(Gt) いたる(Key)

Interviewer:岡本 貴之

-鍵盤ひとつとってもいろんな音色を曲ごとに使い分けていて、その特性を心得た感じのアレンジになっていると思うんですけど、アレンジはバンドみんなで決めていくんですか?

ミワ:それがすごいんですよね。できるんですよ。メンバーを褒めるだけの会になってますけど(笑)。私の頭の中に鳴ってる音を出すのが上手い人たちなので。

こふじ:バンド内でイメージを共有しているところは結構多いので、彼女が持ってきた元歌を聴いて、みんながネタをリハスタに持ち寄るんですよね。新曲を作るときも、ミワユータが"じゃあみんな何かやって"って言って、順番に何かをやっていって、"それいいね!"ってなったところから広げていくような感じなんです。みんなミワユータに"それいいね!"って言われたくて、良いネタを仕入れてくるんですよ。

ミワ:そうだね、それ欲しさにやってるんだよね(笑)。スタジオの場合はミワユータが法律ですね。曲作りは、私がすごくテンションが高い状態から始まるんですよ。だから昨日もスタジオが終わる残り5分のときに"曲を作ろう"って急に歌い出して、みんながそれを見て演奏を始める感じで。"それ違う!"、"そっかぁ"っていう感じで、できないとキレるんです。昔から、私がそういう曲の作り方や立ち振る舞いをするので、みんな辞めちゃってメンバーが定着しなかったんですよ。そしたらドラムの和泉大佐が、"楽器ができるとか関係なしにミワユータについて来れる奴を探そう"って言って、もともと友達だった菅原俊司(Ba)にお酒をすごく飲ませて加入させたんですよ。昔からずっとそういう感じです。

こふじ:僕は、加入してから最初の半年くらい、とにかくステージで前に出たり後ろに下がったりしていてギターをあんまり弾いてなかったですからね(笑)。コードを覚えるだけで必死だったんですけど、加入してすぐにワンマンがあったので13曲覚えなきゃいけなくて。コードも13個覚えてないくらいなのに(笑)。もうひとりのギターがメインで弾いていて、それをビデオで見て覚えたので、弾き方はとにかくカッコいいんです。だから、お客さんにも"ギター・ソロすごくカッコ良かったです!"って言われたりして。弾いてなかったんですけどね、弾いてるように見えてただけで(笑)。今はちゃんと弾いてますけど。

-今作では、急性骨髄性白血病により療養中のもうひとりのギター 深見之春さんが1曲だけ参加していて、あとは全部こふじさんが弾いているんですね。

こふじ:はい、そうです。

-深見さんの病気のこと、ミワユータさんの病気のことがあって、普通だったらバンドは立ち止まってしまう気がするんですが、こふじさんがギター・ヴォーカルとして3ピース体制で活動していたんですよね。どうしてそれができたのでしょうか?

こふじ:ミワユータが倒れたとき、大佐からメールで"ユータだめかもしれない"っていう連絡がきてびっくりして。検査をして命は大丈夫そうだっていうことにはなったんですけど、お医者さんには、障害も残る可能性があるし、もとどおりに人としての生活を取り戻せるかどうかっていうところなので、ライヴをするのは無理ですねって言われちゃったんですよ。歌詞を覚えてステージ上でお客さんの感じとかを見ながら歌ってパフォーマンスする、というのは脳にとってものすごく複雑な行動らしくて。それで、どうしようって残りの3人でミーティングして。深見が白血病で倒れたときは、"ライヴ・バンドは死なない"っていうコンセプトでやっていたので、深見が戻って来るということを前提で活動していたんです。なのでここで活動休止しちゃうと、ミワユータが戻ってこない感じがすごく出ちゃうし、バンドはミワユータが作る曲もすごく好きなので、もしずっと障害が残ってしまうとしたら、ミワユータが書いた曲を3人でやって売れて、ミワユータを食わしていけばいいじゃん、っていう考えが最初のモチベーションだったんです。

-そのとき、ミワさんは話もできないような状態だったんですか。

ミワ:左手が麻痺していたのと、構音障害でろれつが回らなくて、ずっとよだれを垂らして目は一点しか見ていないような感じで。拘束具もつけられていましたし、一生病院から出れないかもしれないっていう状態でした。母は、こうやって病院で死ぬのを待つだけなら、まだファンに心配されているうちにミワユータとして死んだ方がいいんじゃないかっていうくらいかなり錯乱した状態が続いて、それで父と喧嘩になっていたって後々聞いたんですけど。その後も病気の後遺症で"失音楽症"という、歌も歌えないし音楽も全然聞こえない状態になってしまい。"早く良くなってライヴやろうな"とかみんなに言われても、その意味すら理解できなかったんですよ。"バンドってなんなんだろう?"って。

こふじ:3人で活動をしていたときも、いろいろあったんですよね。もう一生治らないかもしれないし、売れているバンドではないので、長く休んでいて復活したときに今までどおりできるかといったら、そうじゃないんじゃないかなって。それでうちら3人でやることをミワユータに伝えたら、"治して戻るから"って言われたので、じゃあ続けるよって。でも正直、そのときには(ミワユータは)戻れるかどうかわからないような状態だったんですけど。

-今のお話を聞くと、その時点だと復帰は絶望的な状態だったわけですよね。

ミワ:ですね。音楽も聞こえなくなっちゃったし、リハビリで歩く練習や、箸を使ったり字を書いたりする練習をしていたくらいでしたから。メンバーが、ミワユータのサインだけでも書けるようにしようって手を持って手伝ってくれたりしていたって話をあとで聞きましたけど。

-そこから、どれくらいで復帰できたんですか?

こふじ:1年です。お医者さんが一番びっくりしてましたね。

ミワ:失音楽症が残っていて、例えば"雨"と"飴"って音は違うじゃないですか? それは聞き取れるのに、メロディになると全然わからなくなっちゃって。音楽が認識できなかったんですよ。結構珍しい病気らしくて、大きい病院のでっかい機械でドヴォルザークを聴かされながら脳波を取られたりしました。

-今作では、とてもそんな状態だった人とは思えないヴォーカルを聴かせていますけど、どうやって復活できたのでしょう。

ミワ:映画"天使にラブ・ソングを2"(1993年公開)で、(主演の)Whoopi Goldbergが(生徒役の)Lauryn Hillに"朝起きた瞬間に歌うことしか考えてなかったらあなたは歌手よ"っていうようなセリフがあって、すごく好きなんですけど。そうやってリハビリ期間、朝起きるたびに一生懸命曲を思い出そうとしていて、あるとき、全然ちゃんと聴いたことがないCyndi Lauperの「True Colors」(1986年リリースの2ndアルバム表題曲)が聞こえる気がしたんですよ。そう思ってTHE YELLOW MONKEYの「バラ色の日々」(1999年リリースの19thシングル表題曲)をかけたら爆音で聞こえて、"音楽聞こえる! カッコいい!"と衝撃を感じたんです。そこから加速的に良くなってきて、スタジオでも歌えるようになっていって、今はほとんど大丈夫です。

-『ASK YOU!!』に収録された曲は、復帰してから書いた曲ばかりなんですか?

ミワ:曲を作れるようになってから、作りたくてしょうがなくて、すごい量を書きましたね。その中から選んで収録しています。そうやっていろいろあった人の話を聞くのって面白いじゃないですか。なので、悩んでたりつらかったり、絶望していたりする人に、"生きているとこんな大どんでん返しみたいなこともあるんだよね"っていう軽い感じの、"聴いてくれ!"っていうのとはちょっと違う"ちょっとお聴き"みたいなニュアンスで、このタイトルにしました。