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INTERVIEW

Japanese

THE天国カー

2015年07月号掲載

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Member:天国コケシ (Vo) 魔昼間花子 (Gt) まきお (Dr)

Interviewer:天野 史彬

-神様みたいな絶対的に信じきれるものがないっていう、そこにある不安定さや揺らぎを土台としたうえで、自分から愛することや与えることによって、安堵や生きていく力を得ていく――それが、この『金』『銀』の2作で描かれた景色だと思うんです。で、たとえば「幻に抱かれて」には"日本"という言葉が出てきますよね。今、日本で生きている実感、今のこの国を見渡してみたときに生まれる感覚も、そこに結びついていると思いますか?

コケシ:そうですね。語弊があるかもしれないですけど、もうちょっと日本を愛したらいいんじゃないかなって思うんですよ。それは"より良い日本にしよう"っていうよりも、たとえばある側面から見たら良くないかもしれないけど、現状を愛するのと愛さないのとでは違うなって思っていて。たとえば僕に恋人がいたとして、その恋人が完全無欠かっていったら、そうじゃないですよね。でも、恋人だったらダメなところも愛せるじゃないですか。恋人の足にタコがあっても、舐めたり触ったりするじゃないですか(笑)。それと同じで、現状の日本を日常生活レベルで愛せば、挨拶するときの気持ちよさが変わったりもするのかなっていう。

-コケシさんは、何かを悲観することじゃなくて、自分から率先して前に進むことで現状を打破しようとする人ですよね。

コケシ:そうですね。前でも後ろでも斜めでも何でも、とにかく向いた方向に歩けよっていう。それはファンの人にも、これから会う人にも、メンバーにも思います。熱量をもって行動するっていうことが大事なのかなって。絶望だったら絶望でもいいんですよ。いつも元気でニコニコしなくてもいいんですよ。そんなのはいらないと思う。悲しいなら思いっきり泣けるか?っていう。思いっきり泣けるなら、それはとても幸福なことだと思うし、美しいことだと思う。それができなかったとしても、泣きたいときに泣けなくても、何かできることはあると思う。そのままぼーっと過ごしてもいいし。意志をもって行動すれば、人は素敵やなって思います。

-『金』『銀』2作の中で、例えば「屋上から愛を込めて。」(『金』Track.8)や「風にのれたら」(『銀』Track.9)では"唄"が信じられるものとして出てくると思うんです。神はいなくても"唄う"ことは信じられる。これはコケシさんの音楽に対する向き合い方そのものを表しているんだと思うんですけど、どうしてコケシさんは、ここまで音楽に託せるんだと思いますか?

コケシ:他に何もないからっていうのはもちろんあるんですけど。「屋上から愛を込めて。」はノンフィクションなんですよ。実際にあった話を書いているだけで。僕は「屋上から愛を込めて。」、この1曲以外は全部闘うために曲を作っています。お客さんと闘ったり、音楽業界だったり。全部、闘いの歌なんです。でも「屋上から愛を込めて。」は、唯一、逃げ場を探した歌なんです。というのも、この曲の歌詞にはある女の子が出てくるんですけど、それは、実在した僕の元恋人で。すごく元気のいい子やったんですよ。僕が18歳くらいのとき、ひとりで落ち込んでいたときに、その子は本当に弾ける笑顔で、僕にすごくたくさんの笑顔をくれた子なんです。その子はいつも絵を描いていて、"将来は絵でご飯を食べたい"って言っていて、お洒落で、可愛くて。その子と数年間付き合って、でも結局別れてしまって、その後連絡は取っていなかったんですけど、何年かあとに風の噂で、彼女が病気になったって聞いたんです。それで連絡を取ってみたら、本当に病気になっていて。いわゆる心の病なんですけど。僕はその人を守ろうとかではなく、とりあえずその場から逃がしてあげようと思って、うちに呼んだんですよ。そしたら、僕の家の最寄り駅で、彼女は僕に会った瞬間に泡吹いて倒れたんです。そこから1年間、彼女を僕のうちに住まわせてたんですけど、笑顔はひとつもなく、バスにも乗れず、自転車にも乗れず、外に出ても人がいると泡吹いて倒れてしまう。僕が何か注意をしたり怒ったりしても、泡吹いて倒れる。

-あぁ......。

コケシ:そのときは僕も貧乏だったんですけど、その子は働ける状態じゃないですから、なんとか僕が働いて、その間にライヴもやって、ほとほと疲れてしまって。で、そんなある日、僕が朝方に家に帰ってきたら、彼女がいなかったんです。"どこに行ったんだろう?"と思って屋上に行ってみたら、柵の向こうでふわ~っと立ってたんですね。そのとき、僕は初めて女の人を平手打ちで殴りました。僕はそのとき、ひとりの人間の喜怒哀楽を隅から隅まで全部見たような感覚になりました。その女の子に対する謎が全部なくなりましたね。語弊がありますけど、人間の浮き沈みは全部見たんじゃないかと思います。それがあってからは彼女も元気になってくれて、今では、また絵を描き始めて頑張ってらっしゃるんですけど。......でも、あのころの僕は、その女の子が絵を描かなくなったこと、笑顔を失ってしまったことがとてもショックだったんです。それが始まりで、最終的には疲れてしまって、別れてしまったんですけど。......この出来事で、青春みたいなものから1歩引いてしまった感じもあるんですよ。でも、歌は残るんやっていうことだけは証明したくて。あとはやっぱり、その疲れている渦中から逃げたかったし、その中からでも光を見つけたかったっていうのはあるし。そんな中でこの曲を書いたんですけど、やっぱり音楽って素晴らしいなって思いました。ここまで"音楽って素晴らしい"って思ったのは僕だけちゃうかなっていうくらい、音楽って素晴らしいなって思いました。すごく救われました。"やっぱり、最後に音楽は鳴っとるで!"っていうことだけは証明できたんじゃないかと思います。

-そんな大きな経験があって、でも、それも音楽に刻み込んだし、"逃げ場"として音楽の在り方も知り、"それでも音楽は鳴る"というひとつの結論を出すこともできた。そのうえで、たとえば、『金』のTrack.1「神様のいない午後」、それにTrack.9「レインボウマン」では、両方"明日が来る、人生は続く"ということを歌っているように思うんです。こういうことを歌うとき、コケシさんの中にあるものはポジティヴな想いだと思いますか、それともネガティヴな想いだと思いますか?

コケシ:実際問題、とてもポジティヴとは言えないですね。誰でも生きていたら疲れると思うので。できれば、どこも痛くならず眠ってしまいたいなって思うこともたくさんあるし。ライヴでも、"ちょっと疲れたわ"って言って座って歌ってるときもあるんですよ(笑)。自分がいなくても時間は過ぎていくわけだし、そこに関してはポジティヴでもネガティヴでもないというか、無常っていう感じなんですけど......でも、そのルーティーンみたいなものを、ユーモアを交えて切り抜けたら、そのうちに素敵な出来事があったりするのかなって思いますね。それに、どんだけ疲れても、ロマンとか情熱は残るなっていうことを「屋上から愛を込めて。」を作ることで知れたなっていうのはあるんです。だから、人は独りでは生きてはいけないですけども、とりあえず独りで闘って、その先で会いましょうよって思います。闘っている者同士で集うライヴはとても素敵なものになると思うので。こっちが精一杯闘っていたら、何か伝わると思うし。なんでもいいんですよ、就職の面接でも、なんでもいいんです。それが頑張る力になって欲しいですね。それを与えられるのであれば、これ以上の幸せはないと思います。それ以上の幸せがあるのなら教えてくださいっていう感じです。僕らはカッコいい人間ではないので。カッコいいことは、カッコいい人らが言ってればいいと思うんですよ。でも、1回はカッコいい人にも勝てると思うんですよ。1回は俺の方がカッコいい瞬間がある。それがどういう分野かはわからないけど、それをずっと探したり想ったりしていれば、その瞬間は来るっていうことは言い続けたいんですよね。