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INTERVIEW

Japanese

阿部真央

2014年08月号掲載

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Member:阿部真央

Interviewer:沖 さやこ

-阿部さんのパーソナルな年表、という感じなんですね。シングル曲とそれ以外の曲と、ご自身のなかで差別化などはありますか?

あんまりないんです。寧ろ"シングルよりもこっちの曲のほうが好きだけどなーっていうのが多いかもしれないです。やっぱりシングルは、シングルというだけですごく注目を集めるじゃないですか。アルバムの中でもリードになり得る曲ですし、目立つ機会が多いんですよね。でもそれ以外の曲も手を抜かずに作っているつもりなので。アルバムにしか収録されていない曲や、カップリングの曲でも、すごくファンのかたに愛されている曲もたくさんあるんです。(シングル曲よりも目につきにくいという)ハンデがあるのに愛されているというのは、すごく誇らしいと思いますね。勿論シングルにも大事な曲はありますけど、そういう違いはあんまりなくて。

-違いがあると言えば、シングルはご自身の存在を押し出して、広めてくれる役割を持っていることでしょうか。

そうですね。それにシングルはシングルというだけで特別なスポットが当たっていますからね。

-『シングルコレクション 19-24』は阿部さんが女性としての大きな変化を遂げた時期に作られた、かつ特別なスポットが当たった曲ばかりが揃っているアルバムだと。

ミス・ユニバースの決勝みたいな(笑)。

-ははは、なるほど!その例えはとてもわかりやすいですね。では、今回このアルバムを聴いて、ご自身の率直なご感想は。

やっぱり、変化がすごくわかるなと思いますね。あと、勿論バンドさんが変わったり、エンジニアさんが違ったり、そういう音質の違いもあるんですけど、自分が歌っているのもあって、声の変化が大きくて。最初はとにかくガムシャラに、高い声もずっと張り上げていたけれど、中期に向かって喉の調子がおかしくなって。それで手術をしたあとに復帰して、声は綺麗だけどあまりコントロールがうまくいってないな、苦しそうだな、というのを感じたり。そこがいちばんですね。

-シングルの『モットー。/光』が復帰第1弾作品でした。

「モットー。」は手術前最後の録音で、「光」は手術明けて初めて録音した曲なんです。だから「モットー。」は声がちょっとかさかさしていたり。「光」を録音したころは丁度東日本大震災があった時期なので、2011年の上半期は本当にいろいろあって。

-やはりおつらい時期だったのでは。

そうですね。手術前はこのままだったらどうしよう、とか。勿論手術をすることで安心してはいたんですけど、組織を取りすぎてうまく歌えなくなってしまったらどうしようというのもありました。あとは......歌えない時期があることがすごく怖かったですね。予期せぬ活動休止......ま、ちょっとだったんですけど。その間に忘れ去られてしまうんじゃないかとかも思ったりして。でも、それが3年目で良かったと思います。2014年に止まったらもっと怖かったと思うし。早い時期にそういう休養が得られて、喉もちゃんとリセットできて、5周年を迎える前に喉のコントロールもできるようになって。喉のケアのことも考えられるいい機会だったな、と今になっては思いますね。意味があることだったと思います。

-お休みしなさい、ってことだったのかもしれないですね。

うん、そう必死に言い聞かせてましたね。

-ヴォーカルの表現力以外にも、今のご自分にあって昔のご自分にないものを感じたりなさることはありますか?

たくさんありますね。全部が変わったと思うんです。昔はこんなに自信をもって明確に"こんなチームを作っていきたいんだ!"と思ったこともなかったですし。ただ、いちばん大きく変わったのは"今後自分がどういう風にやっていきたいのか"と思うようになったことですね。自分がどういうやりかたが合っているのかなとか、そういうことをいつ訊かれても答えられるくらい常に考えているというか。そういうのがいいことだと思うし、そこに自信を持てるというのは非常に大きい変化かなと思いますね。そこがわかっていれば、何か少し変わったことがあっても大丈夫だと思うので。

-そう思うようになったのはどのタイミングで?

初めてホール・ツアーをやったり、初めてセルフ・プロデュースをするようになったり......2012年くらいから徐々に思いはじめました。

-アルバムで言うと『戦いは終わらない』、シングルで言うと『側にいて』『世界はまだ君を知らない』の時期ですね。

その時期は制作やスタジオの中、リハーサルやツアーでも、自分が真ん中に立ってしっかり指揮を取らなきゃ!と気負っていた時期で、すごく頑張っていたというか。自分がどういう立ち位置で、どういう風にやっていけばいちばんこのチームやプロジェクトが回っていくのかなというのを非常に考えていた時期だったんです。そこから大きく変わりました。"人に伝えるためにはこうしないといけない"とか――何を持ってみんなに訴えているのか、訴えた先にどうなってほしいのか。そういうことを考えていかないといけないなって。クリエイティヴというか、このプロジェクトをどう回していくかを見ていたり、そこに自分が参加するにはどうしていくべきか......周りをたくさん見るようになったんです。それが2012年ですね。