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INTERVIEW

Japanese

Yellow Studs

2014年06月号掲載

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Member:野村 太一 (Key/Vo) 野村 良平 (Gt) 植田 大輔 (Ba) 田中 宏樹 (Dr)

Interviewer:山口 智男

100万人に受け入れられるとは思わない。かっこいい言葉で飾ったわけでもない。しかし、うすっぺらい歌があふれているこんな世の中だからこそ、滑稽なくらい必死に生きている人間の姿を歌うこういうバンドは絶対に必要だ。それが2003年結成の5人組、YELLOW STUDS。完全無所属を掲げ、DIYの活動を続けながらじわじわとファンを増やしつづけてきた。その彼らが7作目となるアルバム『Alarm』を完成させた。スタイリッシュなロックンロールのイメージを打ち出しながら変幻自在の曲とともに人間の悲喜劇を歌った全12曲はきっと多くの人の心に突き刺さるはずだ。

-7作目のアルバムとなる『Alarm』を聴かせていただきました。トラディショナルかつスタイリッシュなロックンロールのイメージを芯に持ちながらもジャンルに囚われない多彩な曲の数々に驚かされました。

太一:ありがとうございます。

-こういう音楽ってどういうバックグラウンドから生まれるんだろうと興味を持ちました。2003年に結成した時から現在のようなスタイルでやろうと考えていたんですか?

太一:2003年に奥平(隆之 / Gt)と植田と俺がバイトで出会ってバンドを始めたんですけど、その頃はみんな音楽をそんなに知らなかったんで......あの時はロカビリーが流行ってたんだっけ?

植田:うん。

太一:ロカビリーが流行ってたんで、ロカビリーをやりたいな、と。

植田:流行ってたっていうのは僕達の中でですけどね(笑)。世間的には別に流行ってなかった。

太一:それでロカビリーをやるかって始めたんですけど、ロカビリーって基本、3コードじゃないですか。あんまりやることねえなって。全然、できてないくせに早々に見切りをつけたんですけど、その時、出会ったのが勝手にしやがれ、行方知レズ、夜のストレンジャーズ。そういう人達に感化されながら、元々、俺はUKロックが好きだったんで、そういうのが混ざって混ざって、こういう形になりました。やりたいことをやってきた結果です。

-UKロックってたとえば?

太一:OASIS(笑)。俺、音楽全然詳しくないんでそれしかぱっと思い浮かばないんですけど、他に誰がいましたっけ?

-BLURとかRADIOHEADとかPRIMAL SCREAMとか。

太一:ああ、好きです好きです。じゃあ、やっぱUKロックですね(笑)。

-それはちょっと意外でした。他のみなさんはどんな音楽が好きなんですか?

植田:UKロックは全然聴いたことないですね。僕はずっとBLANKEY JET CITYが好きで、彼らに憧れて、バンドをやりたいと思って上京してきました。他もバラバラだよね?

田中:今は何でも聴くんですけど、やっぱりガレージ・ロックが好きだったっていうところで、今、やってる音楽に1番近かったんじゃないかと思います。

-ガレージ・ロックと言うと?

田中:最初はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTだったんですよ。そこから遡っていきました。

-良平さんは?

良平:難しいですね。

太一:THE BEATLESだよな。

良平:そうですね。ずっとTHE BEATLESは好きなんですけど、自分が関わってきた曲を聴きかえしてみると、この当時、このギタリストにハマッてたなぁって(笑)。すごく影響を受けやすいんで。

太一:RED HOT CHILIPEPPERSとかな。

良平:東京事変とか。

-曲は太一さんが作っているんですか?

太一:ほとんど俺なんですけど、スタジオに入ってたまに良平が弾いたリフから俺が曲に発展させるっていうようなこともやります。8:2ぐらいかな。今回初めて良平が全部作った「また会おう」って曲が1曲入ってるんで、今後は曲の幅も、よく言うと広がって、悪く言うとブレてくんじゃないかなと思ってます。

-太一さんが基本、作る曲に他のメンバーが加えるものが1つになって、バンドの音になる、と。

太一:そうです。バンドにありがちなパターンだと思います。

-曲を作る時は、どの程度、作り上げてから他のメンバーに渡すんですか?

太一:パソコンで音源のやりとりをしながら、みんなで練って、練ってからスタジオで合わせるというやり方です。9割の曲が最初思ってたようには仕上がらない。目指してたところとは全然違う曲になるんです。でも、それでもかっこいいと思えるんで。

-太一さんが曲を作って、この曲はこういうイメージで、こういう世界観でって決めるわけではないんですね?

太一:ドカンとイメージができて、バンと作った曲もあるんですけど、それが今回の「秋晴れの空」と「鶴の恩返し」。

-2003年から数えると、11年の活動歴があるわけですけど、活動は順調だったんでしょうか?

太一:順調じゃないですよね(笑)。 良平:順調だと思ったことは1度もない。毎日不安ですよ。

太一:23歳でこのバンドを始めたとき、3年で売れるだろうって思ったんですよ(笑)。当時はバカだったんで。でも、3年経ったとき、3年で売れるのは難しいなって気づいて。1番辛かったのは26、7歳の時じゃないかな。悪い大人にダマされたりとか、メジャー・レーベルから"君たちかっこいいね"って言われて、これで将来は決まったも同然だと思ったけど、何もなかったりとか。いつからか全部自分たちでやろうと思ったんですよ。

植田:2年ぐらい前からじゃない?

太一:3年前か。

田中:『Shower』の時じゃない?

太一:あ、『Shower』からか。じゃあ、前々作からですね。もう全部、自分らでやろうって。お金もそっちのほうが溜まるし、客も増えてきたし。だから、ずっとこうですね。まぁ、グラフで書いたら15度ぐらいは上がってるかもしれないけど。そんな感じです。

植田:11年やってきて15度です(笑)。

良平:たまに下がるしね(笑)。

-下がるっていうのは、どういう時、下がるって思うんですか?

良平:メンバー脱退とか曲ができないとか。

太一:メンバーが練習しないとか、メンバーにやる気がないとか、お金がないとか。バイトが大変だとか。

良平:眠れないとか。

植田:いっぱい出てくるね(笑)。

太一:ツアーに行くたびバイトをクビになるとか。昔よりは全然、お金が稼げるようにはなってきたんですけど、それでも5人が食っていくには全然足りない。