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INTERVIEW

Japanese

栞寧

2022年03月号掲載

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2016年に、地元北海道で本格的に音楽活動をスタートした、シンガー・ソングライター 栞寧。大きなGretschのギターを抱え、まっすぐな瞳とまっすぐな歌声で、感じた想いや大事にしている言葉を手渡し、時には絡まったままの感情も辛辣さもぶつける彼女の原点にいるのは、甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ/ex-THE BLUE HEARTS/ex-THE HIGH-LOWS)だという。サウンドや表現の仕方は違うが、常に素直にありのままに音楽と向き合って、自分の言葉とや声として放つ栞寧の音楽は、とても力強く、そして優しい。2月23日リリースのミニ・アルバム『yadokari』は、今リリースをする意味合いを、音楽を奏でる意味合いを考えたという。まだ先の見えない不安や新しい道を歩んでいくその1歩のリアルを、その背中に添える温かな手のひらを感じる作品だ。

-現在、朝の情報番組"スッキリ"で「桜風」が2月のエンディング・テーマとして流れています(※取材は2月)が、反響はありますか。

"スッキリ"で知ったよという方が多いですね。自分の歌が届いてくれることが一番嬉しいので。全国放送でのオンエアが決まって、ひとりでも多くの人に歌を聴いてもらえているなと思うと嬉しいです。

-「桜風」は、新しいことが始まることへの期待や不安が入り混じった心情を、優しく見守ってくれるような曲になりましたが、どんなタイミングで書いた曲ですか?

「桜風」は以前からあった曲で、ライヴでもやっていたんですけど。自分の曲で"桜"をテーマにしたものはなくて、季節に合わせた曲があってもいいんじゃないかなっていうことで作った曲でした。

-曲を作るときは、そういうふうに何かテーマがあって書き出すことが多いんですか? それとも、気持ちが溢れてしまうように曲になっていくのか、どういうタイプが多いですか?

どちらもありますね。自分が思っていることを歌いたいので、日頃から歌詞を書いていたり、思ったことや感じたことをメモしていたりすることが多いんですけど。あとは絵本をテーマにして曲を作っていたこともありました。AIR-G'(FM北海道)さんで番組("栞寧のシオリ")をやらせていただいていたときは、今夜の1冊という絵本を紹介するコーナーを作って。選んだ絵本に合わせて、週1で曲を作って歌っていました。

-思っていることや感じていることが曲になるとき、どういう感情に突き動かされることが多いなと思いますか?

最近ようやく落ち着いてはきたんですけど、私、0か100かでしか生きられなくて(笑)。今回のアルバムに収録した「大人になると」は、本当に自分が言われた言葉や、思ったことをそのまま歌っている曲ですね。

-「大人になると」はまさに溢れ出るままに書いた曲という感じですよね。苛立ちなのかもどかしさなのか、怒っているのか皮肉っているのか、そのすべてが入っているような曲で。

その気持ちが届いたことが嬉しいです。結局、こういうことって誰に話しても解決することではなくて、漠然とした不安とかもやっとした気持ちは、普段は共有することもなかなか難しかったりすると思うんですよ。でも自分はシンガー・ソングライターとして活動をしていて、音楽で表現できる場所があるから。思ったことや言いたくてもなかなか言えないこととか、根にある気持ちを音楽で示せるんだなっていうのは思います。

-いつ頃から自分の想いや気持ちを歌にしようとなったんでしょう。

19歳くらいですね。始まりは、自分の作った曲を動画でSNSに載せてからでした。

-小さい頃から家族でフェスに行っていたそうですが、その頃は歌手になりたいとかバンドをやりたいとか、自分で曲を作りたいという思いもあったんですか?

やりたかったのはあったんですけど、出ているアーティストがとにかくかっこ良すぎて。ここはすごい人にしか立てないんだろうなっていう気持ちだったんです。私ずっとTHE HIGH-LOWSを聴いていたんですよ。今も、甲本ヒロト(Vo)さんが大好きで。保育園児の頃から親が車の中でCDをかけていたり、家のコンポでもずっと聴いていたりして、小学生の頃に初めて"RISING SUN ROCK FESTIVAL"に行ったときに、甲本ヒロトさんが出ていて、"本当に存在してるんだ!"っていう気持ちだったんです。だから、そこと自分を照らし合わせたことはなかったんですよね。ずっとステージに立てると思ってもいなかったというか、やる前から諦めていたのかなって感じでした。

-子供の頃からフェスに行くなど、常に音楽が身近にある環境だったんですね。先ほどTHE HIGH-LOWSの話が出ましたが、いろんな音楽を聴いて、自分で好きになっていったアーティストはいるんですか?

父ちゃんがギターを弾けたので、ギターを弾いてもらって私が歌うのが遊びだったんです。そこでは絢香さんを歌うこと多かったですね。絢香さんは自分でお小遣いを貯めて最初にCDを買ったアーティストでした。

-では、ギターの手ほどきもお父さんから?

ギターは教えてもらってないですね。父ちゃんはGibsonのJ-45というギターを使っているんですけど、そのギターは結婚したときに買った高いギターで。私が保育園児くらいのときかな? ギターに触ってみたくて、触ったときに机にぶつけちゃって、今でも穴が残っているんです。それで、すごく怒られて。謝ったのになかなか許してもらえなかったんですよね。今はもう、弾きなって言ってくれますけど(笑)。それからはおもちゃのギターだけ触っていましたね。

-(笑)そういう子供時代を経て、自分で音楽を始める19歳のときって、何かきっかけがあったんですか。

19歳の誕生日に、父ちゃんからGretschのギターを貰ったんですよ。それでギターを弾くようになって、曲ができました。もともと路上ライヴをやってみたかったんですけど、当時は母ちゃんのおさがりの、BACKPACKERっていうMartinのトラベル・ギターしか持っていなくて。路上ライヴやりたいんだって父に言ったら、"お前それでやるのか!?"みたいなことを言われて、誕生日に、赤のGretschのギターが届いたんです。"歌が下手でもこれを持ってたら目立つから"って。

-ギターのチョイスがさすがギタリストですね。

"路上ライヴでは、まず足を止めてもらうまでが大変だから"と。赤で目立つし、女の子がこのデカいギターを持って歌っていたら、とりあえず下手でも誰かは立ち止まってくれるだろうみたいな感じで。いろいろ探してくれたみたいです。

-そのギターで背中を押してくれたんですね。で、路上ライヴもたくさんやっていたんですか?

結構歌ってましたね。ただ、自分でも意味がわからないんですが、ずっと練習しに行ってるって言ってたんです。普通は、前に名前を置いたりするじゃないですか。何も置かずにただギターを持って、人がいなくなったときを狙って歌って、人が来たらやめるみたいな。聴いてほしいのに、聴いてほしくないみたいな感じで。狸小路という札幌の商店街で、いろんなシンガー・ソングライターの人や、YUI(FLOWER FLOWER/Vo/Gt)さんとかもやっていたような場所だったんですけど。屋根もあるし、時間も自由だし、明るいから怖くないしという理由で歌いに行っていました(笑)。本当にそのくらいの気持ちでやっていたんです。

-そこからさらに踏み込んで、自分の音楽を聴いてもらおうとなったのは?

それでいうと、最近かもしれないです(笑)。もちろん、聴いてもらいたいという思いもあったから、路上でもやっていたんですけど。東京でも月1くらいでライヴをしていて、聴いてくれるお客さんを想像してセトリを考えて、それをやるっていうのがすごく楽しくて。聴いてもらうためにどうしたらいいかを考えたときに、例えばさっきのラジオの絵本のコーナーもそうですけど、何かひとつ共感できるテーマを作って曲を書くことは以前からしてましたね。