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INTERVIEW

Japanese

Self-Portrait

2019年08月号掲載

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Member:眞鍋 総一郎(Vo) 田中 勇二郎(Gt) 百済 慎吾(Ba) 岡崎 貴人(Dr)

Interviewer:秦 理絵

-初の全国流通盤『AT FIRST』は、まさにバンドの新たな始まりを告げるような1枚だと思いますけども、どんな作品にしたいと思いましたか?

眞鍋:これぞSelf-Portraitっていう作品にしたいと考えてました。初めて聴いた人が、Self-Portraitって、こういうバンドだよってわかるようなアルバムになったと思います。

-まさに1曲目の「VINTAGE」とか「ライブハウスで逢えたら」、「此処に居たいと願うこと」っていうようなライヴハウスっていう空間を連想できる曲が多くて、それだけでバンドが大切にしてるものがなんなのかがわかりますよね。

眞鍋:「VINTAGE」は今回のアルバムを作るにあたって新しく作った曲なんですけど、自分たちが生まれ育った場所のことを歌いたかったんです。ライヴハウスにはドラマがあるんですよね。その隅っこにいた昔の自分みたいな人に向けて歌いたいなと思ったんです。

-「VINTAGE」は大阪のライヴハウス、寝屋川VINTAGEのことですよね?

眞鍋:そうです。今は、そんなに頻繁に出られてないんですけど、僕らの始まりの場所やったので。流通盤を出す再スタートには相応しい曲じゃないかなと思います。

-「ライブハウスで逢えたら」は2016年にリリースされたシングルの曲ですけど、この曲ができたきっかけは何かあったんですか?

眞鍋:もう2年半ぐらい前の曲ですね。これはタイトルから決めたんですよ。なぜ自分たちはライヴハウスで歌ってるのかっていうことを遠回しじゃなく、そのまま歌にしました。自分たちがライヴハウスにハマったのは、先輩たちのライヴを観たことが始まりだったんです。気がついたら泣いてたり、こぶしが上がってたり、笑ってたりして。ライヴハウスの先輩たちが、僕らの人生を変えてくれた。それで、自分たちも誰かの人生のターニング・ポイントになれるような、影響力のあるバンドになりたいっていうのが、バンドを始めたきっかけだったんです。

-当時、どういう先輩バンドの影響を受けたんですか?

眞鍋:ジンっていうバンドですね。今でも仲良くさせてもらってるんですけど。ジンが、メジャー・デビューする前に47都道府県ツアーで寝屋川VINTAGEに来たことがあって。VINTAGEの店長が、その日のトップバッターに僕らを入れてくれたんですよ。そのときトリのジンのライヴを観て、初めてライヴで感動したんです。当時ちょっとスカしてた中身のない自分たちがかっこ悪くて、一生懸命やってるバンドがかっこいいなと思ったんですよね。その体験が、"数分が君の何かを変えると信じて止まないからだ"っていう歌詞になってます。

-そういう原体験を大切にしてるから、Self-Portraitは、ライヴに比重を置いた活動をずっと続けるんですね。

百済:僕らはたぶん、初めて高校生でライヴをしたときの、"わ、すげぇ!"っていうシンプルな初期衝動が永遠に続いて30歳になったんだと思います。大人になると、いろいろなことを考えるじゃないですか。でも、根っこはメンバー全員ピュアだと思うので。

眞鍋:たしかに、ピュアやと思うわ(笑)。

岡崎:みんな音楽が好きなんですよね。言い方が難しいんですけど、不純な動機がないっていうか。やからこそ、15年間続けられたんでしょうし。

-今回のアルバムは、ライヴハウスでずっと歌い続けてきた曲が多いですけど、新曲は「VINTAGE」と......。

眞鍋:「極彩モノクローム」と「青い春」ですね。

-一番古い曲は、「掌」とか「声-koe-」、「拡散希望」ですかね。

岡崎:そうですね。「掌」や「声-koe-」は、僕が入る前にできた曲なんです。僕が加入する前のCDを(自主制作で)ずっと売ってたから、そこに僕がサインするときは、お客さんに"僕じゃないけどね"って言いながら書いてたんですよ(笑)。

-今回、今のメンバーで録り直したんですか?

岡崎:そうです。ちゃんと僕が叩いた音源になったのは嬉しいですね。アレンジは変わってないけど、やっぱり叩く人が変わってるので、印象が違う部分もあると思います。

-「掌」は、骨太なロック・ナンバーですね。ラジオの向こうにいるリスナーとミュージシャンの関係性をテーマにした歌ですか?

眞鍋:これは東北の震災が起きたときのことなんです。あの日僕らは千葉にいて、ツアーの最終日だったんですよ。で、リハーサル中に地震があって、ライヴが中止になって。そのまま車で24時間かけて大阪に帰ったんですけど、東京を出るまでに12時間かかったんです。そのときにラジオで聞いたことを歌にしました。

-そのラジオは、どういう内容だったんですか?

眞鍋:自分の娘が貯金してたお金を......100円とか200円とかやと思うんですけど、被災された町の人にあげたいって言ってるみたいなラジオの投稿があって、その子の"掌"に希望を込める曲にしようと。

百済:曲を作るときに眞鍋から"震災のときの話だ"っていうのを聞いてから、特別な想い入れがある曲です。

-「声-koe-」は9周年のシングル(2012年リリースの『Self-Portrait 9th Anniversary Single』)収録曲ですよね。全体的にアップテンポな曲が多いアルバムですけど、マーチング・ドラムが印象的なバラードです。書いたときの心境は覚えてますか?

眞鍋:これは21、22歳のときですかね。当時どんどん激しいこととか、派手なこととかをしたくなっていた時期なんですけど、今思えば遠回しにかっこつけた曲を作ってたんです。でも、そうじゃなくて、ライヴをしているときに自分が思ってることを初めて伝えようと思ったのが、「声-koe-」なんですね。

-メンバーは、眞鍋君の変化をどんなふうに受け止めていたんですか?

田中:この曲ができたことで、「ライブハウスで逢えたら」や「VINTAGE」みたいな曲もできたから、Self-Portraitに大きな芯が出てきたかなって思いますね。

眞鍋:リアルを求めてきたんですよね。過去とか未来のことを歌うよりは、今まさに、ナウを歌いたいなと思って。今でも新鮮な気持ちで歌えますね。

百済:ナウって、古い(笑)。

-(笑)「声-koe-」は、2012年当時のSelf-Portraitのナウだったかもしれないけど、今も変わらずにナウであり続けてることに意味がありますね。

眞鍋:たしかに。今もかなりの確率で、ライヴでやる曲ですね。