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INTERVIEW

Japanese

亜沙

2019年01月号掲載

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-ほかにもそういったエピソードを持っている楽曲がありましたら、具体的に教えていただきたいです。

ちょっと面白いなと思ったのは、もともと浦島坂田船センラさんに提供させていただいた「色恋」ですね。これ、センラさんは一人称を"あたし"と歌ってるんですよ。ただ、僕がデモを最初に作ったときは"私"にしていたので、セルフ・カバーをするときにどっちでいこうかちょっと迷ったんです。だけど、提供楽曲というのは"その人のために"作ったものですからね。根本的にはその人の歌だと僕は捉えているので、今回はセンラさんの感性にのっとった形で"あたし"と歌いました。

-センラさんの「色恋」も聴いたことがありますけれど、たった1文字の微妙な差ではあるものの"あたし"と"私"では、ニュアンスの面でなかなかの違いが出てくるように思います。そして、この「色恋」はアレンジもセンラさんが歌われているバージョンとは明らかに違いますものね。

今回のアルバムを作っていくうえで、原曲のイメージをある程度引き継ぎたかったものもあれば、そうではなく今の自分がやるならこうしたいと思って、あえてアレンジのイメージを変えたものもあるんです。ボカロ文化の中では、まったく同じバックでいろんな人がそれぞれに歌うっていうことがひとつのフォーマットになってますけど、今回みたいなセルフ・カバーのアルバムで僕が人にあげた楽曲を自分で"使い回す"みたいなことになってしまうと、それは提供した方にちょっと失礼じゃないですか。少なくとも、僕は自分が提供される側の立場だったらあんまりいい気持ちはしないだろうと思ったので、たとえ雰囲気は近かったとしても、まったく同じ感じの音にはしないようにしなきゃなと考えたんです。

-ゆえに、今作は聴く側からしても新しい発見が多々あります。この曲を亜沙さんというアーティストが表現するとこうなるのか、というふうに。

特にボーナス・トラックに入れた3曲は、その傾向が強いかもしれません。さっき話に出た「天使の歌」なんかも、めっちゃ違うし。だけど、正直言うと今回のアルバムには入れられなかった曲もほかにまだまだあるんですよね。いわゆるキャラソンみたいなやつなんですけど、そういうのは歌詞がコミカルすぎて僕は歌えませんでした(笑)。

-なお、アルバム本編はボカロ・オリジナル曲たちによって構成されている内容となりますが、初期のころに作った楽曲に対して"今とは違うな"と何か感じられたことはありましたでしょうか。

それはこのアルバムの1曲目に入っている「stardust」に対して、一番強く感じました。今回のアルバムは作った順というか、最後に入れた新曲の「未来ページ」以外はすべて時系列に沿って曲が並んでいるんですよ。要するに、この中では「stardust」が最も古い曲なんです。「吉原ラメント」より前の曲はこれだけということにもなるんですが、自分自身の感覚としても「吉原ラメント」以降は曲の作り方が変わったんですよね。

-それは興味深いお話ですね。変わったとは、どこがどのようにですか?

簡単に言うと、「吉原ラメント」を発表したことによって、ウケる、ウケないみたいなところが自分としてもある程度は把握できたということなんでしょうね。

-実際、「吉原ラメント」は多くの方にカバーされ、歌われ続けている楽曲ですものね。私もこの数年、あちこちでいろいろな方が歌うこの曲を耳にしてきました。

自分にとって、あれがひとつのきっかけになった曲だったことは間違いないです。あれを作って、それがいろいろなところで受け入れられたことにより、自分の中でその後の曲作りの方法やクオリティがランクアップしたと思うんですよね。逆に言えば、そこからさらに上を目指そうと思うとそれはそれで大変なんですけど(笑)。

-そこはきっと、クリエイターとしての宿命のようなものなのでしょうね。常に自らの出した成果を超越していかなければならない、という意味で。

それだけに、7年とか8年も前に作った「stardust」はどうしても思い出深いんですよ。今聴くと、曲の作りが"若いな"って感じますしねぇ。もっと言うと"浅いな"とも感じるんです(笑)。

-「stardust」は亜沙さんにとっての原点であり、黎明期の足跡のようなものだということでしょうか。

だからこそ、今回の「stardust」はアップデートさせたかった。単なるセルフ・カバーというよりも、今の自分がやったらここまで作れますということを形にしておきたかったんです。

-では、「吉原ラメント」については"あの曲があの当時あれだけ跳ねた理由"について、今の亜沙さんはいかなる解釈をしていらっしゃいますか。

運の良さ、というのがあったんじゃないですかねぇ。それと時代性かな。ちょうどVOCALOIDが流行っていた時期だった、というのは相当大きいと思います。

-しかし、それだけではないはずですよ。「吉原ラメント」自体が、多くの人に刺さる強いインパクトと魅力を備えていたことが何より大きいのではないでしょうか。

僕としては、そう感じてくれる方がいらっしゃるんだとしたら嬉しいです。でも、あの動画のイメージもやっぱり強かったんでしょうね。忘れもしない、バーミヤンで動画を作ってくれた小山乃舞世と僕とでiPhoneを見ながら打ち合わせをしまして(笑)。飛田新地の写真なんかを見ながら、"今もこういう街があるらしい"なんていう話をしたんですよ。テーマが花魁だったからなんですけど。そこの世界観がわかりやすくて動画の内容が良かった、っていうのも大きかったのかな。ありがたいことですよ。というか、自分としてはまさかここまでたくさんの人がカバーしてくれることになるとは思ってもみなかったんです。当時はまったく予想していなかったことですね。