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INTERVIEW

Japanese

ユタ州

2016年08月号掲載

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Member:ターキーのぶと(Vo) ロング(Gt/Cho) 犬(Ba/Cho)

Interviewer:蜂須賀 ちなみ

今年で結成10周年を迎える青春パンク・バンド、ユタ州。アニバーサリー・イヤーにリリースされる2ndアルバム『スルメ盤』は、走り出したら止まらないパンク・サウンドを中心に据えつつも、フォーク直系のメロディ・ラインが切なく滲んだり、肩の力が抜けるようなカントリー・テイストの曲があったりと、サウンド的には実に多彩だ。彼らが言うところのパンクとは"喜怒哀楽を飾らずにまっすぐ鳴らす"という精神面の話なのでは、と感じる。ということで、今回Skream!では結成~現在を振り返るインタビューを敢行。バンドの10年間に迫った。

-早速ですが、ユタ州はどういうふうに始まったバンドなんですか?

のぶと:最初、彼(犬)と僕がお互い違うバンドとして同じライヴハウスでライヴをしていたんですよ。で、お互いのバンド・メンバーが抜けたときに先輩から"お前ら一緒にやったら面白いんじゃないの?"って言われて。僕の方がヴォーカルとドラムだけ、彼の方がベースとギターだけになったので、合わせて4人っていう感じで始まりました。

-もともとお互いどういうバンドをやっていたんですか?

のぶと:彼のバンドはむちゃくちゃでしたね。玉ねぎ齧りながらベース弾いたり、スクール水着を着ていたり......。

犬:コミック・バンドみたいなことをしていたので。

のぶと:正直ヤバい奴だなと思っていましたね(笑)。だから先輩にそう言われたときは"マジかよ"って思いました。

犬:僕から見たら(のぶとは)憧れの先輩でしたけどね。もう"ロック・バンド"って感じで。

のぶと:いい加減なこと言うなよ(笑)。

-ということは、お互いまったく違う方向性のバンドを組んでいたということですよね。ユタ州は最初から、今のような青春パンク的なバンドだったんですか?

犬:そうだったと思います。その先輩がやっていたバンド(青春スカトロジー)の影響が強かったと思っていて。ガガガSPと一緒にツアーを回っていたりしたので憧れていましたね。だから自然と青春パンクをやるようになったんだと思います。

-今の4人が揃ったのはいつですか?

のぶと:5年前ぐらいですね。最初のメンバーのギターとドラムが抜けて1年間ぐらいずっと2人で活動していたんですよ。ライヴも、ベースとアコギだけでやっていて。

-サポートも入れずに?

のぶと:はい。そうしたら友達のバンドが解散して、そこのドラム(たけ)が落ち込み気味でライヴハウスの階段で座っていたので声を掛けて。

犬:それから違うギターが入ってまた4人で活動をし始めたんですよ。で、そのあと(ロングが)大阪から東京に来て。

ロング:そうですね。新宿Marbleの店長さんに昔からお世話になっていたんですけど、ちょうど上京したタイミングで"ユタ州のギターが辞めるらしいよ"ってコソッと教えてもらって。ユタ州のことは昔から知っていたので僕の方から"入れてください"ってすぐに連絡して。

のぶと:そのときは正直嫌だなぁって思いましたね。

ロング:ははは(笑)!

のぶと:もともと知り合いだったから、結構むちゃくちゃなギターを弾く人だということは知っていて。

ロング:むしろギターを弾いていなかったかもしれない(笑)。

のぶと:転がったりギター投げたり、そういうことばっかりしていたよね。だからそんな奴が入るのかと。初めて一緒にスタジオに入った日は大雪だったんだよね。

ロング:そこで大遅刻かましてしまって......。

のぶと:あのときはなんか変な空気だったよね。

-でも結果的に加入することになったんですよね。

ロング:そうですね。僕は結構臆病な性格なので"とりあえずサポートでやらせてほしい"って言ったんですけど、"サポートとかいらないから、やるのかやらないのかどっちかだ"って言われて。今までは"入ってくれ"って言われることの方が多かったので、そういうふうに言う人は初めてで。それで"やらせてください!"っていう感じになったんですよね。

のぶと:そんな怖いこと言ったっけ? 憶えてないけど、たぶんスタジオ代を4人で割りたかったんでしょうね(笑)。

一同:はははは(笑)!

-そうしてこの4人が揃ったのが5年前ですが、結成してから2014年に1stアルバム『ベスト・ヒット・ユタ州』をリリースするまではライヴを中心に活動していたのでしょうか?

のぶと:そうです。流通盤の出し方とか、そういうことがわからなかったというか。自分たちでCD作って、ライヴハウスで売って、"いつかは偉い人が観に来てくれるんだろうな"と思っていました。

ロング:そういう受け身のスタイルを見かねた八王子Match Voxの店長が"じゃあ俺がもう出してやる"って言ってくれて。それで1枚目(『ベスト・ヒット・ユタ州』)の音源制作が始まったんですよ。