Japanese
hue
2016年02月号掲載
Member:石田 充(Vo/Gt) 永井 一成(Vo/Gt) 藤田 健人(Vo/Dr)
Interviewer:増田 思織
高校の同級生4人組で結成された栃木発のロック・バンド、hue。10年来の付き合いになる彼らが、メロコア/90年代エモ/インディー/オルタナなど様々なジャンルを消化し、ありのままの自分たちを曝け出すことで辿り着いた唯一無二のバンド・サウンドを武器に、1stアルバムを完成させた。楽曲はもちろん、歌詞、タイトルに至るまですべてを全員で作り上げ、バンドの軌跡ともいえる新旧の楽曲を"今"の空気感で鳴らした渾身の1枚について、これまでのバンドの歩みと共に話を訊いた。
-初掲載ということで、まずはバンドについてお話を伺っていきたいと思います。みなさんは栃木の某男子高校出身の同級生とのことですが、全員が同じ学校だったのでしょうか。
永井:みんな同じ高校ですね。僕は高校から出会ったんですけど。
藤田:僕とベースの吉住は小中高と一緒ですね。
永井:石田と吉住は、中学校は違うけど、バスケ部のキャプテン同士だったり、あと小学校のサッカー・チームで知り合ってたりとか。
-繋がり自体は高校以前からあったんですね。ではバンドを組んだのは高校何年生のときだったんですか?
永井:もともと他3人と僕は別のコピー・バンドを組んでて、それは1年のときからやってたんですけど。まぁいろんなことがあって、この4人で組んだのは高2の最後とか。
-それ以来メンバー・チェンジもなく。
永井:ないですね。そこからずっと。
-少し話が戻りますが、みなさんいつから楽器を始められたんですか?
永井:楽器を始めたのは、中学3年生の受験期ですね。部活が終わってやることなくなって、もともと家にアコギもあったっていうのもあったんですけど、Hi-STANDARD聴いてたからレスポール買おうみたいな。
藤田:僕は中学3年生のときにベースを始めました。
永井:ベース!? 待って、初めて聞いた(笑)。
藤田:初めはベース買ったんですよ。でもすごく苦手っていうか、むずいわぁと思って。16分弾けねえって(笑)。中学のとき、吉住と"高校入ったらバンドやろうよ"って話をしてたんですけど、いざ高校入ってやるかってなったときに、あいつベースだったし、じゃあ僕はドラムで、って(笑)。
-急にドラムをすることになって、抵抗ありませんでした?
藤田:なかったですね。そのころに地元にライヴハウス兼スタジオみたいなところができて。カラオケ行く感覚でそこへ行って、ドラム叩いてましたね。遊びみたいな感じで。
-そうだったんですね。そのときのコピー・バンドって何をしてたんですか?
石田:そのとき流行ってたELLEGARDENとかBUMP OF CHICKENとかですね。
藤田:あとメロコアですね。AIR JAM世代のあとのメロコアがすごい流行ってて。だからHAWAIIAN6とかのコピーをやってましたね。あとはそこから流れで、BLINK-182とか。
永井:僕はハイスタですかね。高校生になってからは"Epitaph Records"が最高のレーベルだと思ってたんで、RANCID、THE OFFSPRINGみたいなのをやったりとか。でも"テンポ速すぎてできねぇ"ってなって(笑)。別でthe pillowsとかも好きだったからそっちもやったりとか。あと2000年代中盤のARCTIC MONKEYSとかUKのロックが流行った時代だったんで、そこもやったりしましたね。
-意外ですね。hueはジャンル的にはエモとかポスト・ハードコアじゃないですか。最初からみなさんそういうジャンルの音楽を聴いてたのかと思いました。
永井:まったくでしたね。エモとかそのときは知らなかったです(笑)。そもそも田舎だったんで、情報がまったくなかったっていうのもありますね。近くにCDショップもなかったし、宇都宮のタワレコ潰れちゃったし(笑)。
藤田:Audioleaf(※インディーズ・バンド試聴サイト)で聴くとかね。
永井:そう。Myspace(※音楽を中心としたSNS)とかね。それしかなかったから。
-高校2年生でhueを結成されて、最初はコピー・バンドとしてスタートしたのですか? オリジナルも作ってました?
永井:一応最初から"バンド組むからには曲作ろう"って言ってて。でも曲はないんで、スタジオで曲を作りながらもNUMBER GIRLとか、そんな感じのコピーをやってましたね。でもやってる間に高3の受験期が来たので、"ライヴしてる場合じゃないな"ってなって。そもそも近くにライヴハウスがなかったっていうのもあって、ライヴは全然してなかったです。
-みなさん全員大学受験をされたんですか?
永井:そうですね。都内の方の大学に行けば集まれるだろうという甘い認識で、全員都内近郊の大学を受けて(笑)。
藤田:で、思ったよりばらける。
永井:そう、ばらける(笑)。栃木からの認識の東京って、まぁだいたい埼玉の下の方とか千葉とか神奈川は東京だと思ってたら、千葉と八王子はもう(笑)。
-実はめっちゃ遠かったと(笑)。大学生になってから本格的なライヴ活動をスタートされますね。どれくらいの頻度でやってました?
永井:月4~5回はやってましたね。回数でいうと結構やりました。場所は、大塚か八王子の2択で。
藤田:でも、徐々に楽器は下手になる(笑)。
永井:昔やってた曲は今よりどっちかっていうと、インストとかマス・ロックとかを間違って解釈した、狂った音楽みたいなのをやってて。テクいことやってて、そのための練習とかもしてたんですけど、途中で"難しい!"ってなって(笑)。"難しいことをしなきゃいいんじゃね?"って気づき始めてからはどんどん技術力が落ちていった(笑)。
LIVE INFO
- 2024.11.30
- 2024.12.01
- 2024.12.02
- 2024.12.03
- 2024.12.04
- 2024.12.05
- 2024.12.06
- 2024.12.07
- 2024.12.08
RELEASE INFO
- 2024.12.04
- 2024.12.25
- 2025.01.08
- 2025.01.22
- 2025.03.28
FREE MAGAZINE
-
Cover Artists
ASP
Skream! 2024年09月号