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INTERVIEW

Japanese

Seagull Screaming Kiss Her Kiss Her

2015年09月号掲載

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Member:日暮 愛葉(Vo/Gt)

Interviewer:山口 智男

-じゃあ、最初はそんなに本気でバンドをやろうとは考えてなかったんですか?

なんとなくは考えてましたけどね。若かったから。ニューヨークで大学に受かっちゃったから、どうしようかなって。人生の岐路じゃないですか。19歳とか20歳とかで。でも、やっぱりバンドやりたいって大学をやめて、日本に帰ってきた。私立の大学だから学費が高かったんですよ。それを親に払ってもらって、卒業後、普通の人になるのか、大学に行かずに好きなことをやるのか考えて、好きなことをやると決めたんです。ニューヨークにいるころ、SONIC YOUTHとかJad FairとかCIBO MATTOとかと友達になって、彼らと交流する中でしっかりやろうと思いました。最初はアメリカでしか出すつもりがなかったんですよ。アメリカをツアーして、アメリカかイギリスのレーベルから出してというのが目標だった。だからって別に日本のレーベルが嫌だとか、日本の音楽が嫌いとかっていうわけではなくて、アメリカをツアーしたら絶対楽しいでしょってそんなノリで。頭良くないじゃないですか、若いときって(笑)。ばっと思ったことを楽しそうだからやるって感じだったんで。当時、日本のインディ・シーンは、わりとメジャー・レーベルに青田刈りされてて、いろいろなバンドがどんどんメジャーに行ってましたけど、私たちはそういう話は断ってて。その中で唯一楽しそうだったのがトラットリアだったんです。

-日暮さんにとって、現在の音楽活動のバックボーンになっているという意味でルーツと言える音楽やアーティストっていったらたとえば?

どこから話したらいいですか? 

-中2のときにギターを買ったんですよね?

そうです。親が3万円くれて、ギターって3万で買えるのかなって御茶ノ水に行ったら、TOKAIが潰れたときでTALBOが野ざらしになってたんですよ。それを1万9,800円で買ったんですけど、楽器にはなんとなく興味があったんですよ。だからピアノもやってたし、ドラム・セットもお年玉で買ったし。ドラムが最初に自主的にやった楽器かな。ただ、音楽のルーツって言ったら、SONIC YOUTHですよね、やっぱり。NIRVANAも好きですけど、SONIC YOUTHって現代音楽も入ってるし、もっとカテゴライズしづらいじゃないですか。そういう知的な感じにも憧れたし、James Chanceなんかのノー・ニューヨークとか。でも、何でも聴きましたよ。ジャーマン・プログレからクラシックまで。あとはヒップホップも。何が好きって言ったらSONIC YOUTHですけど、普段、聴く分には何でも。レゲエ以外は(笑)。苦手なんですよ。それは単純に好みの問題ですけど、何を聴いてきたか辿ると長いんで、はしょったほうがいいと思います(笑)。

-今のお話を聞いて、わりとアヴァンギャルドな音楽をたくさん聴いていらっしゃったような印象を受けたんですけど、Seagullも含め、日暮さんが作る音楽ってポップな魅力もあるじゃないですか。それはどこから来ているんだろうって、今、不思議に思いました。

それはやっぱり80年代に思春期をがっつり経験しているからですよね。洋楽も邦楽も、ものすごくポップで、いい曲が生まれていた時代だったじゃないですか。だから、その洗礼を受けているのは間違いない。自分から能動的に聴かなくても、"ベストヒットUSA"とか、日本の歌謡曲とか、自然と耳に入ってきましたから。ポップな曲っていうのは、すごく好きです。今でも洋楽でも邦楽でもある程度、ポップな部分がコアなところに見つからないと、そんなには聴けない......まぁ、いろいろ聴いてきましたけど(笑)、でも、そこは大事です。いいことを言ってくれました(笑)。

-じゃあ、曲を作るときは、ある程度ポップであることは意識しているんですか?

それはないです。私、鼻歌から作るんですよ。鼻歌が降りてきたら、それをギターに起こすか、メンバーにフンフンフンって歌って、"こういう曲。ベースはフンフンフン。ドラムはドッタンドッタンで"って言って、やってもらう。だから、最初にああいう曲を作りたいと考えるんじゃないんです。もちろん、ぼんやりとしたヴィジョンはあると思うんですけど、例えばTHE KILLSみたいの作りたいじゃなくて、もっとふわっとしている。それが頭の中で固まると、鼻歌として降りてくるから、それを曲にするんです。

-ところで、THE GIRLを一緒にやっていた、つばきのおかもとなおこさん以外の現在のメンバーとは以前から面識があったんですか?

快速東京の一ノ瀬は憲太郎が快速東京をプロデュースしてたからなんとなく知ってたんですけど、蓮尾に関しては全然知らなかったです。コーラスのmoeちゃんは、私きっかけでバンドを始めたと言ってくれるくらいSeagullのファンで、彼女ももかっこいいバンドやってるから知ってたんですけど、最初のリハーサルのとき、みんなはじめまして感じでしたね。

-どうやって集めたんですか?

憲太郎が集めてきて、試しにやってみてから決めようって、やってみたらばっちり合っちゃったんです(笑)。

-その後、新しいアルバムの制作はいつごろからどんなふうに?

憲太郎から"やりましょう"って言われて、去年の4月にソロも含めたオールタイム・ベスト・アルバム(『"18" aiha higurashi cherish my best』) を出したんですけど、その前ぐらいからというか、やろうって決めてからすぐに曲を書き始めて、たぶん100曲以上書いてるんですけど、すごく大変で。つらい作業でした。曲をたくさん作るのはつらくないんですよ。鼻歌が降りてきたら全然。降りてこーいって言って、2~3日待ってると、降りてくるからばっと書き始めて。書き始めるとそれに触発されてまた降りてくるから曲数はどんどん増えていくんですけど、もとのSeagullに回帰しなきゃいけないのかなっていう想いがすごくあったんです。でも、もとのSeagullっていうのは、何の音楽的なバックグラウンドも、知識も、テクニックも、ライヴの経験もない状態で、鼻歌でみんなに伝えながら、これでいいのかなって思いながらやってたんで。そういうところに戻らないといけないのかな? 戻れるなら戻りたいって思ったら、つらくなっちゃったんですよ。今の私には22年、音楽をやってきて、蓄積されたものもいっぱいあるし、ライヴの経験もあるし、テクニックだって前よりはマシになっているし、知っちゃったものはどうしようもないってところで、わりと足掻いてしまったんですよね。そんなことがあって、曲を作ってるときはつらかったんですけど、レコーディングを始めたぐらいから、すでにある履歴は消せないんだから、今の私が書けるSeagullをやれば、私がSeagullなんだからそれでいいじゃないかって突然思えたんですよ。それはいっぱい悩んだからかもしれないですけど、最終的にはそういうやり方しかできないし、どう足掻いたって、まっさらな自分に戻れるわけではないしって思えるようになったんです。でもそれまではかなりタフな作業でした。最初は"余裕じゃん、いくらでも書ける。3日で書けるよ"って思ってたんですよ(笑)。実際、3日で書けるんですけど、"全部違う。違う違う違う"って試行錯誤して、どれをやろうか本当に決めたのってレコーディングの前日ぐらいだったのかな。